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カスミ町のクーリーズクリークという酒場でメディスンマンに出会った。山羊のような顔をしたその爺さんは、ぼくに茶色い紙ぶくろをくれるとニヤリと笑ってきえた。なかにはただのカボチャの種が入っていた。そのふくろをバーテンにくれてやると、バーテンは無雑作にバーの棚に置いた。それ以来ぼくはただのカボチャの種が入った茶色い紙ぶくろを、カスミ町のあらゆる酒場で見かけた。インクスティックやタクシレーン、トゥールズやレッドシューズ。ともかくそんなバーのどこかにその茶色い紙ぶくろは置いてあった。メディスンマンはそんな場所にいつも出没していた。八十年代初頭の話しだ。ぼくがその爺さんをメディスンマンと呼んでいたのは、あの頃カスミ町の酒場では夜毎に何かが生まれ、そんな場所に必ず爺さんはいたからだ。そして茶色い紙ぶくろ………ストリートから飛び出した音楽やアートはそのような酒場で熟成していった。深夜のカスミ町を泳いでいた不良(ぼくも含めて)たちは、時代が生み出したマジックを享受し、そして学んだ。あのとき西麻布はカスミ町だったのだ。ぼくは深夜のカスミ町の交差点に立ち、いつも誰かを探し自分を探した。目に入るものはすべて作為的に仕掛けられていて、油断していると、とんでもなく痛いめに会った。酒場のネオンサイン、壁画、カクテル、トイレの異臭、煙、ベル、犬、真夜中のタクシー、おこる男、泣く女、あらゆる無意味に意味を見つけることができた。耳の奥でいつも沈黙のビートが鳴っていた。スージーアンドバンシーズが、ボブマーレィが、デビットボウイが、ボーイジョージが、ラウンジリザーズが、バスキアが、目の前を通りすぎあちこちの酒場へ消えていった。--線--自由が丘の大連で餃子にパイカルでぶっ飛んでしまったある日の午後二時、そのような時代にひきもどされたのは、多分このところ続けて逝った、インクスティックの親分だったMや、スタイリストの草分けだったM、その後のレイブシーンをリードしてきたOのことがあたまのなかにあったからだと思う。カスミ町が西麻布になり総理大臣が立ち寄る店はできたけれど、今の西麻布からは確実に音楽もアートもハプニングもすべてが消えた。メディスンマンは今頃何処の酒場を泳いでいるのか?あのときカスミ町のどんな酒場にも「ドンファンの教え」は転がっていたのにな、誰かあの爺さんのただのカボチャの種が入っている茶色い紙ぶくろを探してくれ。 松山さん、ミロ、小野ちゃんありがとう。 |