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9.11は多くの人に劇的な変化をもたらした。
OTOさんはあの瞬間に循環という言葉が頭に立ち上がったという。 それは、アメリカ的な社会から日本的な文化への回帰か? 音楽と米をつないでお祭りへと転化させることによって、 多様な感性が共生できる居心地のいい場が生まれる。 |
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資本主義社会の終結。 何かをきっかけに、人は価値観を大きく変化させることがある。2001年9月11日。世界を震撼させた同時多発テロも多くの人の生きる指針を変えた。21世紀に突入して、わずか250日あまり。一歩目を踏み出したばかりの新しい世紀が、はたしてどんな時代になるのだろう。テレビに映し出されるニューヨークから届けられるライブ映像を見ながら、そんなことを考えていた人は少なくない。音楽家のOTOさんもそのひとりだ。 「2機目の旅客機がワールドトレードセンターにぶつかった時に、瞬間的な印象として自分のなかでは資本主義が終わったって思った。同時に循環という単語が単純に頭のなかに立ち上がってきた。資本主義が終わったって何の事なのか。つまりどういう未来を描くのか。今がどんな状況なのか、どんなことが起こっているのかを知らずに過ごすこともできたかもしれないけど、それじゃあ頭のなかにわだかまりが残ったままになってしまうし、自分が何を思ったのか知りたいとも思った。、それでまずネットを見始めた。ガリガリといろんなことを調べ始めた。 坂本龍一さんが、テロから三日後だかに非戦のサイトを立ち上げられていて、そこにリンクがたくさん張ってあって。その頃はリンクされているホームページは、全部開けるくらい見ていましたね。辻信一さんの『スロー・イズ・ビューティフル』という本に出会ったり、地域通貨というツールがすでにあることを知ったり。持続可能な社会のための歩みは『あ、なんだ。もう始まっているじゃん』って思って。本屋さんへ行くと、新資本主義のなんとかっていう本があったり、エコ経済の本があったり。なんかいろいろ資本主義が壁にぶつかっているという状況が分かった。ネットを見始めると、テレビや新聞にも流れない大切な情報が山ほどあって。たぶん資本主義が終わったということと循環型社会が始まるというのは同じ意味合いなんだと思う」 2001年の秋以降しばらくの間、音楽とはまったく離れた生活をしていたOTOさん。CDもほとんど聞かず、ひたすら環境や平和のことを勉強する毎日。まだ自分は動かなくていいと思っていたという。 |
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80年代の東京〜じゃがたら時代。 ファンクやアフロビートなどのリズムでボーダーレスな音楽を発信していたバンド、じゃがたら。じゃがたらが活動していた80年代に、東京という街に音楽のアンダーグラウンド・シーンがあったとしたのなら、間違いなくシーンの中核にいたのはじゃがたらだ。じゃがたらは79年に結成。81年に加入したOTOさんは、バンドにダブやアフロ・ビートやファンクさを注入していった。 ボーカルの江戸アケミのキャラクターとエキゾチックなサウンドで人気を獲得していったじゃがたらは、ミュートビートなどとともに<東京ソイソース>というイベントを開始する。86年のことだ。OTOさんは当時をこう振り返る。 「藤原ヒロシとか高木完もいて。<東京ソイソース>はライブとライブの間にDJが入った初めてイベントだったんじゃないかな。ところが、<東京ソイソース>というものが、だんだん回を重ねていくにしたがって、『宝島』に取り上げられることも手伝って、東京の面白い音楽シーンだと言われるようにもなっていった。お洒落がいいことだという田舎くさい時代でさ。実体じゃなくて雰囲気や匂いが商品になっている。ぽいことがいい。広告くさい、実体が伴わない時代ですよ。当時の僕はより資本主義くさい人だった(笑)。 9.11があるまでは、ある種の競争社会のなかで、上昇指向を持ったりすることが、ひとつの男の生きる道じゃないけど、漠然と頭のなかには存在していたのかもしれない。いろんな身の回りの要素を優劣つけて見ていたような気がするしね」 90年1月の江戸アケミの急逝によりじゃがたらは活動を休止する。90年代のOTOさんは、野外でのレイブ・パーティーやお祭りを体験。徐々に生きるための指向は、地球と共存するためのものに変わっていった。 富山でのお祭り。 2002年夏、OTOさんの地元である富山県魚津市で<ミラージュ・ギャザリング>という祭りが開催された。言い出しっぺだったOTOさんは、その前年から祭りの構想を練っていた。その構想中に起こった同時テロによって、環境へとシフトチェンジしていったOTOさんの頭には、音楽とアートと環境問題を融合させた祭りというビジョンが次第に構築されていったのだろう。 「祭りが動き出した頃には、テロなんてことも考えていなかったし、僕自身環境のことを調べるとは思ってもいなかった。富山には風光明媚なところがあるんで、『この風景でトランスを流さない手はないでしょ』っていう感じですよ。野外のレイブ・パーティーに参加するのは若者たちがほとんど。外へ遊びに行くと、当然山の芝生の上に、たばこをポイ捨てして気持ちいい人はいないと思うんです。そのことに象徴されるように、気持ちいいことを追求していくと、人と自然の中で気持ちよく一緒に生きていることが気持ちいい。人と自然が気持ちよくなっていることが、自分の気持ち良さに繋がっていく。子供はもちろん、じいちゃんばあちゃんも、大人もみんなレイブで楽しめればいいなと思ったんだよ。 <ミラージュ・ギャザリング>をやり終えて、普段はどう自分が対処していくのか、という部分からはじめなきゃいけないなっていうモードに戻ったんだ」 ちょうど祭りが進行していく時期と重なるように、OTOさんはしばらく住んでいた恵比寿を離れ、国分寺へと引っ越しした。カフェ・スローというカフェがあったからだ。東京にいる間は持続可能な循環型社会のことをなるべく知りたいと思ったからだそうだ。持続可能な循環型社会はサステイナブル・リビングの日本語訳。どちらも呼ぶには長いので通称サステナ。国分寺はサステナ系のメッカだ。 |
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長柄と魚津での米作り。 <ミラージュ・ギャザリング>を終えたOTOさんは、現在一緒にバンド(サヨコオトナラ)を組んでいるサヨコさんの誘いもあって、中野雅藏さんの収穫祭に参加した。中野さんが千葉の長柄で開いている田んぼワークショップの入門コースは、田植え・2回〜3回の草取り・稲刈りという年間スケジュールになっている。そして自分たちで育てたお米で晩秋に収穫祭を行う。OTOさんは、翌03年の田植えから始まる田んぼワークショップに参加することを決めた。 一方、魚津でもお米を実際に作る話が持ち上がっていた。 「僕がお米を作らせてもらっているのは千葉の中野さん家族と魚津のお祭り仲間です。共通しているのは、どちらも音楽がまずみんな大好きだということ。先に音楽ありきです。娯楽としての音楽というよりも、生きる姿勢としての音楽。 スペースマン(中野さん)はとにかくレゲエが大好き。『88』創刊号参照!って感じです。1年の収穫を祝って歌い踊る。これはもういわゆるお祭りの原点ではないかと思うんですよ。『食べ物といういのち』を育み、みのりを天からいただいたことに対して歌い踊る。それは天=宇宙へのいわば「ありがとう」というお返しです。多神教の日本のお祭りの一番厳粛でシンプルな哲学=宇宙との付き合い方のような気がする。スペースマンの田んぼはとにかく泥が気持ちいいんです。泥エステと僕は呼んでいます。きれいな泥ですよ。全身を塗りたくっていいくらいの泥。サヨちゃんと一緒に田んぼを借りているので、サヨちゃんの娘のアリワとわらべ歌などを歌いながら田植えをしている。歌と音楽は米にいいヴァイブレーションを与えているんじゃないかな。歌のヴァイブを米に入れる。だから『ヴァイブ米』。 魚津は魚津でやっぱり音楽イベントを一緒にやった仲間たちがいる。そこに友人のこうちあきおがいて、率先してあれこれ素敵な誘導をしている。ピースウォークを起こしたり、富山でのアースデイをかなりいい形で作ったり。サステイナブルな将来ヴィジョンを共有できる素晴らしい友人のひとり。彼も毎日の百姓生活を中心に、平和、環境、音楽をバランス良く考えながら暮らしている。あきおが企画している未来塾という市民講座の中で富山県の大長谷に住む石黒さん家族が中心になって不耕起の自然農をやっていて、アースデイの後「毎日がアースデイ」という事を何かやってみたくて「田んぼギャザリング」というのを提案して、音楽イベント仲間たちと共に僕も参加させてもらうようになった。<ミラージュ・ギャザリング>でつながった仲間たちがほとんどだから、富山の米は『ミラギャザ米』。去年の末はピースウォークの事が忙しかったせいでか収穫祭はできなかったんだけど、新年会で食べた『ミラギャザ米』のおにぎりは格別に美味かったですよ」 長柄では水田での無農薬農法をし、富山では不耕起の自然農で米作りをする。不耕起の自然農とは田植え時には水をはらずに、ほとんど手を加えないで稲を育てていく農法だ。OTOさんいわく「反面横着方式とも思う人もいるらしいけど、植物の特徴のコンビネイションを考えた素晴らしいアンサンブル農法だと思うよ。僕なんかが言うことではないけどね。」。まったく別の、しかも環境をつきつめた農法によって米作りを体験した03年は、OTOさんにとっては未知なる領域に一歩を刻んだ年になったに違いない。 |
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地球にも、自分にも負荷のない暮らしを。 一年というサイクルで、ワークショップというスタイルで米作りに携わった。2001年には本やネットで会得していた頭の知識を、実際に身体を使って体験した。 「土を弄っていると宇宙に直結するんだろうなって直感する。あとはごく自然に素直な気持ちになれる。案外黙々と作業をするから、そのなかでは自分を振り返るだけなんだけどね。本当は土の様子や水の具合などいろんな要素をチェックしながら作業するのかなあ。2003年の僕はサステナの事を知って間もないから、相当期待にあふれる初心者という感じでしたね。中野家にはたくさんの文化の現場を作っている人たちが交流しているんです。そこが楽しいです。僕は僕なりに素敵な人間が好きなので、お米を作る前にそこに生きている人たちが好きになれないと意味がない。生き方や考え方、暮らし方が好きになれて初めてお米を作ることも好きになっていると思うんです。自分ひとりで田んぼをやる程まだ『米作り』に肝がすわっているわけではないしね。人の魅力に誘われてやっている次第です。近い将来マイ田んぼももちろん持ちたいという希望はあるけどね。でも『田んぼ』という文化の場に集まる人間が好きだから、僕は楽しんで田んぼワークに参加していると思いますね。田んぼワークで思ったのは『田植えって1年で一回の勝負ライヴだなあ』ってこと。できればビキビキに衣装も思い思い着飾ってオン・ステージな気持ちでやった方が面白いのではないかと思う。そのくらいの『気』を苗に注入する。そして植える。田に挿入するわけです。大地とのセックス。豊潤なセックスの時。そしていのちをおすそわけしてもらう。 何年先に達成できるかわからないけど、僕は自然エネルギーの獲得の仕方と、農業の自給自足率を上げていくことが大切ではないかと。あとは森を回復させること。海もきれいになるし水も湧く。最近はいろんなことを思いますよ、その時々で。方法は既にある。それを考える人はいつもちゃんといる。後はみんながそれを知って選択するだけ。地球を壊した事も原因もわかっている。回復に向かう方向も見えている。地球に素直になれるかどうかだなあ。 僕はなんでも『祭り』にすることが大事だと思っている。地元の伝統芸能の人たちに声をかけて地元の田んぼの歌をやってもらう。農業が機械化され尽くして、今では田舎では専業農家が少なく、みんな会社へ行く前に大型機械で田植えをしていく。当然人と人が会わなくて済むようになっていった。そしたら歌も必要がなくなった。かつてはやはり田んぼで田植えの時に歌っていたそうなんだけど。日本の田舎には田植えをちゃんと地域の伝統的な祭りにしているところがまだいくつもある。そんな古くから伝わっていることは、大事にした方がいいと思う。つながって来たいのちに感謝する気持ちかなあ。」 経済優先の資本主義から、すべてのものと共有する循環型の社会への移行。これがOTOさんも言うように生き方を探る新たなキーワードだろう。そのキーワードを多くの人へと伝える場が、音楽と食と環境を中心としたお祭りなのだ。歌だけでは満足できない、食だけでは何かもの足りない。地球のことも常に考えていたい。歌と食と環境が融合する によって、生きることの楽しみは、きっと何倍にも大きく豊かになる。 サステイナブル・リビングとは、地球と自分に負荷のない暮らしなのかもしれない。 |