2005年3月に「伊豆の国市」という市が誕生する。これは、これまであった伊豆長岡町、韮山町、大仁町が市町村合併により、新らしい市として生まれ変わるのだが、最近の市町村合併には賛否両論さまざな声が上がっている。これまで慣れ親しんだ町名や村名が消えてしまうということや、新たに誕生する市町村名を何にするかで、利害関係や経済効果など、それぞれの思惑が錯綜しているのだが、考えようによっては、これは自分が住んでいる場所、ひいては日本の国土を見直すよいきっかけとなる動きでもある。とくに急激に西洋化されていった江戸から明治へという近代化の流れの中で、なんとなくそこに線を引かれてしまった市町村もあり、地域の文化圏や風土を単なる行政区分線によって分断されている例も少なくない。
 そもそも日本は、多様な国土が織り成す川や山、そして土壌や植生といった自然の境界線が存在し、その違いによって郷土(クニ)が作られてきた。それが藩であり、信濃の国、武蔵の国といった地域(Nation)である。つまりそれは、一本の川によってもたらされた肥沃な流域を指し、山々に囲まれた平地であったりしていたのだ。これは、今で言うところの「生態地域主義」のなにものでもない。そこには、自然を生態系まで深く見つめる力と、それを畏敬するアニミズム的な自然神信仰が根強くあり、もともと日本人にはそのような感覚がすでに備わっていたのである。
 冒頭の話に戻るが、できれば「伊豆の国市」というくらいであるならば、伊豆半島全体の市町村を合併して欲しかった。中央には狩野川が流れ、周りを海に囲まれるこの半島こそ、そもそもは伊豆というクニであったはずだ。
 もし、自分の住んでいる町に市町村合併の動きがあるのなら(もちろんなくても構わない)、自分の住んでいる場所がどんな場所なのか、もう一度地図を見開き、川をたどり、山を見渡してみてはどうだろう。そして、どんな植物が生え、どんな生き物たちがすんでいるのか注意深く見て見よう。そして、海べりに住んでいる人は、いままで関係がないと思われてきた山のことに、そして山に住んでいる人は、山から流れ出す川の下流のことにも思いを馳せてもらいたい。
 今回は、そんな人間が体験を持って、自分の住んでいる場所を深く見つめた再定住(Re-inhabitation)の思想がよくわかる2冊を紹介する。
 1冊は東北の漁師さんが、自分たちの海を守るために、湾に流れ込む上流の山々に木々を植えはじめていくプロセス、そして、その発見は大いなる旅へと発展していく『森は海の恋人』、そしてもう1冊は、奇しくも同時期に太平洋を挟んだ対岸、アメリカの西海岸で、これもまた地元の漁師さんがサケの回帰運動を展開していく『Totem Salmon』。いずれも「流域の思想(Watershed)」に基づいた、ポストモダニズムの環境思想のメインストリームでもある。