人間こそが自然。

 ここ数年、「食」に対して関心が高まっています。フードビジネスでは、「身体にとって良い」という切り口でないとヤバイだろっていう域に入ってきている。グルメだとか海外の食材がどうのとか、いろいろブームのようなものがあったんですけど、最終的にはお客さんの立場に立った「食」の在り方っていうのに、今やっと行き着いた。
 高校の頃からサーフィンをしていて、自分の身体を自然の中に置いて楽しむっていうのもいいけれど、自分自身が自然なんだよなってなんとなく感づいていった。自分という自然に会いたいなと思った。体内の中のメカニズムが自然と反自然があるならば、自然という歩み方をしたいし、反自然というのは病気なんじゃないかなって。そういう推測を自分で持つようになったのが18歳か19歳だったんですよ。
 きっと自然に順応していったら、人間の通常の酸化スピードで死を迎えられるんじゃないか。人間の通常の酸化スピードって、120歳から150歳と言われているんです。今では寿命が伸びたといっても、それに比べればまだまだ短い。本来は100歳まで現役で普通に生きられるのが、人間の本来の在り方ではないか。それを自分でチャレンジしたくなっちゃったんですよ。チャレンジするには自分が求めるもの、自分が食べるものをどうしていったらいいか、一個一個検証していかなければならない。どれがケミカルでどれが自然なのかとかも、知らなければならないわけです。


自家採種・無肥料栽培という手段。

 自分のなかの自然と向き合うには、農業を一回やらないと話にならないと思ったので、一年間自分がここぞと思う農家に頼み込んで、無収入で住み込みで勉強させてもらったんです。農業でも究極の有機農業をやりたくて、無肥料栽培の農家に入った。20代中盤の頃です。無農薬の野菜を作っていくっていう世界はあり得るし、ある意味自分が思っていた推測は当たっていて、社会はおかしいなという実感を持って東京に帰ってきたんですよ。
 無農薬っていうと、無能薬と多くの人が考えてしまうような時代。有機野菜という言葉もなかった。ただオーガニックという言葉はチラチラ海外から聞こえてきていました。
 無肥料ですから、糞も一切入れません。結局肥料も養分なわけですよ。糞尿も肥料なんです。その畑の中にあるものだけで、生産システムを作っていく。だから何も持ち込まない。そこに生えている草だとか植物の残草で、畑のなかで循環していく。一年間やってみてリアルにこれで行けると思えたのは、生産ができていたこと。ただそこでの体験で分かったことは、一般の種じゃダメなんだなと。自分で種を取っていって、その地に種が順応していくプロセスを経ていかないと、いいものはできないなというのは正直言ってありました。自家採種、そして無肥料栽培に、農業の活路を見出したんですよ。
 現在流通されている野菜のほとんどは、品種改良された野菜です。栽培しやすくて、より多く収穫できて、病害虫に強い。人間に都合よくバイオテクノロジーによって品種改良された野菜と言えます。一方自家採種の野菜は、元来その土地にあった在来の品種を選抜して種子をとり、長い年月をかけて更にその土地にあった品種に固定されていきます。自家採種の野菜は、味がよくて、栄養価が高くて、生命力がある。けれど作りにくくて、サイズや生育が揃いません。ただ、サイズが合わなくても、植物としてはそれが当然なんです。


発酵するか腐敗するか。

 無肥料栽培で作られた野菜は、なかなか腐らない。感覚的には分かっていたけれど、もっと普遍的に見せられるように、瓶に入れて実験を始めたのは10年くらい前です。無肥料栽培の野菜は、腐れていくのではなく枯れていく。酸化スピードが遅いんです。一方、多くのスーパーで売られている農薬も肥料も与えられた野菜は腐っていく。通常の売っている野菜は酸化スピードが速い。この命の短さは何なんだ、そして腐っていった時の臭さは何なんだってね。
 枯れていく野菜の瓶と腐っていく野菜の瓶。僕は中に何も入れていません。実はどっちも最後は水になるんです。もちろん例外はありますけど、基本的には時間をかけて水に返っていく。ひとつは、アルコールになったりお酢になったりする発酵をたどって水に返っていく代謝のプロセス。もうひとつは、人間でいう有害なやつらによって水に返っていく代謝のプロセス。ただ単に違う方向を通って、水に返っていくだけなんです。ひとつは発酵してひとつは腐敗していく。それだけの差。要は人間の身体もどっちかなんですよ。食べるものによって、人間の身体の酸化スピードを変えられます。酸化スピードが遅い野菜を食べていれば、身体もそうなってきます。
 野菜は農薬がかかっているものであるというのが世の一般論ですよね。人間は病気になるものである、それによって死んでいく。その既成概念を植え付けられています。そして病気になったら薬で治す。
 僕の考え方はまったく逆で、人間は本来健康で、病気になるっていうことはアクシデントなんですよ。そのアクシデントから元に戻すために、病気という現象で現れてくる。だから病気は自分が治るためにあるもの。弱くなったり死んだりするものじゃなくてね。野菜も虫がついてそのまま放っておいたら、喰われて野菜の形がなくなってしまう。それは大きな目で見れば自然淘汰なんですよ。何かの仕組みのなかで、そこに虫も自然に集まってくる。虫が集まることは何かのメッセージだなと受け取るわけです。まだこの土に自然の法則にそぐわない情報があるのかもしれない。君らのおかげで、地下の状況が分かったよと。人間の僕のお腹が痛くなったら、大腸菌のお前らのおかげで、体調が狂ったことが分かったよ。お前らがお腹のなかでくだして、身体を元に戻していてくれているんだと知る。害虫も大腸菌も良しとして、敵にしないんです。
 雑という言葉は悪い固定概念がある。だからこの空気中にある雑菌も自然菌て呼びたい。草はそれぞれみんな名前があります。名前が判らないから雑草とひとくくりにされる。草の種類を見れば、その土の状態が分かるんです。なぜここにその草が生えているのかっていう理由があるんですよ。その理由を理解できれば応用できるんですよね。全部敵だと思っているから除草剤をまいて殺してしまう。せっかくの情報を、こちらから断ってしまう。だから今までは、生体の情報を消してきた時代なんですね。
 人間は大きな自然の力によって生かされています。自然界と調和した生命力のある農産物。次世代に生命力をつなげることの出来る野菜こそ、本来の野菜だと思うんです。