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インディアンフルートを吹く音楽家であり、画家である真砂秀朗さんが自宅近くで米作りを始めたのは、4年前のこと。音楽好きの若い仲間たちと、20年も休耕田となっていた谷津田を借りて、楽しみながら完全無農薬の米を作っている。自然と人間が折り合いをつけた場所こそ、日本人が本来持っていた心の故郷なのかもしれない。
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衣食住の在り方を バリで見つける。 神奈川県葉山町。三浦半島の付け根にある相模湾に面した町だ。いつも静かな空気が漂い、風雅な佇まいを感じさせてくれる。 そんな葉山に、アーティストである真砂秀朗さんが越してきたのが、今から20年ほど前のことだった。〈オアシス〉という海の家を仲間たちと開いた。〈オアシス〉ではルーツレゲエを流し、夜になれば世界の民族楽器によるライブも頻繁に行われていた。海の家ではあるものの、都市にあるクラブのような存在といえばイメージしやすいだろうか。夏の間にだけオープンする居心地のいい海辺のクラブ。 「若い頃インドへ行って、ひとつのカルチャーショックを受けてね。自分のなかが真っ白になっちゃったんだけど、その後にバリに行き始めたら、なんか『これが答えだ』っていう感じになってね。みんながお昼にはお百姓をしながら、夕方からはガムランを演奏する。演奏家としてヨーロッパツアーをしてきたりもする。音楽だけではなく、絵も描くし、アーティストなんだよね。ひょっとしたら、バリの衣食住の在り方こそ、僕がずっと探していた答えなんじゃないかなって思ってね。葉山に来たら、バリ的に暮らせるんじゃないかなって思いもあった。最近ふと気が付くと、そのビジョンを実践しているなって感じるんです。旅から帰ってきて、東京ではもう暮らせなかったという人が葉山には多いと思うよ」と真砂さん。 御用邸があることも関係しているのだろうけど、東京に近く、通勤圏としても考えられる距離であるにも関わらず、葉山には雑木林を抱えた山が多く残っている。宅地として開拓されることなく、海の近くまで山林がせまっている。鉄道も通っていないこともあって、ちょっと不便なことが、逆に東京近郊のベッドタウンにはない葉山だけのゆるやかさを残す結果になったのかもしれない。 |
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葉山の谷津田での米作り。 あるお寺が毎年開催している境内を開放してのコンサートに、真砂さんが招かれ出演した。当時、千葉の中野さんの田んぼワークショップに通っていた真砂さんは、米作りのことをコンサートの後にお寺の住職さんと話したという。そのことがきっかけでお寺の裏側にある20年以上も休耕田となっていた谷津田を借りることになった。 「千葉でのお米作りも4年目になっていたのかな。米を作ること自体はとても楽しかったんだけど、なんで湾岸を走ってガソリンを使って、田植えに行くんだっていう、ちょっとした葛藤もあってね。僕らが越してきたわずか10年ちょっと前までは、葉山にもいっぱい田んぼがあったんだよ。どっかに残っているんじゃないかなっていう思いもずっと持っていた。なんかのご縁なんでしょうね。家から歩いていける場所で田んぼを見つけられるなんて」 長柄という土地にある谷津。幹線道路から、少し入っていっただけなのに、三方をうっそうとした山に囲まれた緑が凝縮されたような場所だ。車が入っていけない谷津には、植物的な気が蔓延しているのかもしれない。20年も田んぼとして使われていなかったこともあって、土地を開墾することから真砂さんの葉山での米作りは始まった。 「住職さんが草刈りはやっていたようです。だけど、山の笹とかが半分くらい田んぼがあったところに来ていたし、木も生えていましたね。山がどんどん押し寄せてきていたという状態でした」 北側が開いたこの谷津には、東側の斜面に長柄太郎を祀った祠が建てられている。長柄太郎とは、その名からもわかるように、近隣一帯を拓いた人物だ。 「長柄太郎という人物が生きていたのが、鎌倉時代です。だからこの田んぼは800年くらい前からここにあると思うんです。でもこの辺りには縄文人もいたから、もしかしたらもっと古いものかもしれない。縄文の最初の田んぼっていうのは、谷津なんですよね。山の養分がそのまま流れてくる谷津は、機械で作業するのには不便なんだけど、田植えも稲刈りも手でやるんだったら平地よりも楽しいんです。環境的にもすごくいい。生物も豊富だし、生態系が成立している。ここは祠もあるように、ちょっとスピリチュアルな場所だしね。夏に谷津に行って、やることっていったら草取りしかない。お弁当を持って、座って田んぼを眺めているだけで、本当に幸せな気分になるね。いろんな鳥の声とか、いろんな音が聞こえてくる。春になると、いろんな花が咲き始めて、秋はまた色が変わってくる。四季の移り変わりが、目でも感じられるのがいいよ」 上空をつがいのサシバが旋回している。この谷津の生態系の頂点にたっているタカ科の鳥だ。真砂さんが米作りを始めてから、谷津にやってくる鳥の種類は格段に増えているという。 |
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若い世代への「農」の拡がり。 いくら小さな谷津といっても、開墾するにはそれなりの労力がいる。真砂さんが誘ったのが、〈ブルームーン〉に集っている若者たちだった。〈ブルームーン〉はいい音楽と自然が調和する葉山ならではの海の家だ。つまり真砂さんが〈オアシス〉で種をまいた文化のひとつだ。毎年のように、真砂さんも〈ブルームーン〉でライブを行っている。 「葉山で米作りをやるようになって今年で4年目。基本的なメンバーは6人かな。最初は、みんなですべての田んぼを共同でやっていたんです。今はそれぞれが責任を持って、タイミングを見て自分の判断でいろいろなことをしている。3年たって、やっとちょっと慣れたかなっていう感じですよ。最初は、ひとつひとつの作業が何のためなのか分からない。畔塗りっていっても、畦をなんで土で塗るのか。水漏れを防ぐためにダムみたいにすることが一番水圧がかからない方法で、畦の部分を毎年新しくしていく作業だっていう原理が分かれば、その人なりのやり方を考えることも可能です。その作業を行う時期もおのずと分かってくる。いつくらいに雨が来るだとかさ。2〜3年も続けていくと、それが頭に入ってくる。そうすると、自分で全部やりたくなってくるし、そのひとつひとつの作業が楽しくなってくるんですよ」 この取材のための葉山へ行ったのが5月中旬。もっとも暑い時期に稲の花が咲くように、逆算して田植えの時期が決められる。もちろんほとんどすべての生産者が、今年の天候を考えて田植えをするのだけど、自分の思考を巡らせて、秋の収穫へと向けた自分と自分の田んぼのスケジュールを構築する。その過程もまた、真砂さんたちにとっては楽しくてしょうがないのだろう。 「以前にある方の講演で、農業じゃなくて農として捉えられれば、これほど楽しいことはないということを聞いたんです。農は、ある種のスポーツでもあるし、教育でもあるし、レクレーションでもある。〈オアシス〉の店長が手伝いたいって最近言いだしてさ。1年やって覚えたら自分で場所を探して、オアシスチームで田んぼをやりたいって言っているんだけど、使われていない田んぼは、たくさんあるんですよ。何年も使われずに森になりそうな場所が、三浦半島にも多い。谷津での米作りが、若い世代で流行っていったらいいなあ。いろんな人が田んぼで、いろんな体験をしたらいいなと思って。田んぼをやりたいって考えている人は潜在的に多いはず。お米って日本人にとって絶対的なものがあるよ。米作りをするようになって、折り合いっていう言葉が、キーワードとして出てきたんですよ。棚田や谷津田は人間が自然と折り合っていける場所。まったくの自然だったら林になってしまう。人が田んぼを作っていったなかで、自然と折り合いをつける。作った姿もまた美しい。だからこそ田んぼにいて気持ちいいんですよね、なんとも」 田んぼで作業する真砂さんたちを、しばらくの間、畦からただぼんやりと眺めていた。そして森と田んぼが作り出す独特な空気を全身に吸収していた。ゆっくり時間が流れているように感じていたけれど、それは錯覚で、気が付いたら田んぼに来てから数時間が経過していた。 真砂さんが「一緒に植えませんか」と誘ってくれる。 田んぼという小宇宙のなかに素足で入っていく。土が水と混合され泥になることによって、優しい感触になっている。苗床で20センチくらいに成長した緑米の苗を、3〜4本ずつ植えていく。秋にたくさんの穂を付けてくれと、祈りながら泥の中に植えていく。中腰の姿勢を保つわけだから、ふだん使っていない足腰は悲鳴をあげている。肉体的なつらさとは裏腹に、生活サイクルに「農」があることも悪くないと心の中で言う自分がいる。 |