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昔、浅草一体は、千の束ほどお米が収穫できますようにという願いを込めて「千束郷」と呼ばれ、広大な田んぼが一面に広がっていたという。ちょうどその時代の日本では、田植えの時に、百姓たちが豊作を願い、笛や太鼓を鳴らして歌い踊る田楽舞が各地で生まれていた。地域によってそれぞれ形は違うものの、今でも数多く残っており、「びんざさら舞」は、この浅草の地に根付いた田楽舞として、七〇〇年も前から受け継がれてきた。「びんざさら」とは、多くの田楽舞に用いられた楽器の名前で、チベットが発祥の地だと言われている。 「びんざさら舞」を見ることができるのは、浅草神社例大祭・三社祭だけ。浅草神社は、三社様の名で親しまれ、約一三八〇年前、隅田川で観音像を救い上げた、檜前浜成・竹成の兄弟と、その像を小堂に奉安した土師真中知の三体が奉られている。鎌倉時代より、救い上げた観音様の示現(神仏が霊験を表すこと)を祀ったことが、三社祭の始まりとされている。三社様の御霊を乗せた神輿を担ぎ、町の繁栄を祈りながら浅草の町を練り歩く。今では、浅草人の血を沸かせ、毎年二〇〇万人もの人が集まるというほどの大祭となった。一四日の大名行列の後に浅草神社拝殿と神楽殿で「びんざさら舞」は行われた。「あくまでも見せ物ではなく、五穀豊穣を祈願して、三社様に奉納する奉納舞です。現在『びんざさら舞』は、『びんざさら八か町』と呼ばれる八つの町で守られていて、それ意外の人は舞うことができません。それだけ、大事に正しく伝承されてきたものなんです」と、神事びんざさら舞保存会会長・松崎文郎さんは言う。 派手な動きではなく、静かにゆっくり舞う。お祭りの騒がしさの中、太鼓と笛の音が響き、神秘的な世界に包まれる。かつて、千束郷と呼ばれていた田んぼの風景が、「びんざさら舞」によって、一年に一度、よみがえる。 |