![]() |
その年の夏は、よく麻雀をやった。 特にお盆にはなんかこう、ジャラジャラと牌をかきまわすもんだと思っていた。麻雀の牌は位牌のハイなんだから、お盆に麻雀は理にかなっていると都合良く考える。そしてなぜか、やりながらハリー・細野の「ウォリィ・ビーズ」を聴いた。 行こう 帰ろうよ 月の砂漠へ 胸に植えろよ 月の種子を 百と八つの悩みの種 ひとつ ふたつ 数えるだけ ほら 身体が軽くて どこでも行ける 思えば今すぐ 明け方これを聴くと目が冴えて、チーポンのリズムがもどった。 メンツは、当時六本木の芋洗い坂にあったレストラン・バー東風のバーテンだったデニー、クーリーズ・クリークのケンちゃん、船場のボンチ楠くん。今はキラー通りの先でハウルというバーをやっているデニーは、もういい年齢でもあるし少々枯れてはきているけれど、その頃は寺山修司の「中国の不思議な役人」に出てくる苦力のオヤブンみたいに、マッチョでこわもてだった。クーリーズ・クリークのケンちゃんは音楽と酒と女をこよなく愛するインテリヒッピーで、同時期に同じような場所を徘徊していた片田ヒロミ(近々にこのコラムに登場します)いわく、東風の人々は体育会系水商売で、クーリーズは文化系水商売なんだそうだ。まァともかく東風で一杯やってメシを食い、六本木からカスミ町の坂道をゴロゴロ転がって深夜のクーリーズにもぐりこむというのが、その界隈の遊び人たちのひとつのパターンだった。 麻雀の力量は目クソ鼻クソで、勝ったり負けたり、明け方になるとケンちゃんがたいていチョンボをやり、楠くんが居眠りを始める。そんな状況にいらだったデニーが太い首をパキパキッと鳴らし、「ウガー」とひと吠えして、さっさと精算を終えて帰っていく。ゆるい麻雀だったが、「ウォリィ・ビーズ」を聴くと妙にリアルに思い出す。 玄米食をはじめたのはその頃だった。 ボブ・マーリィの「シカゴ・ライブ」で朝まで踊るか、徹夜麻雀か、その後は恵比寿の駅裏の屋台「おゆき」で呆然と勤め人の出勤風景を眺めていたわけだから身体にいいわきゃなかった。ワルイコトヲシテイルという不安を消し去るために始めた玄米食という殊勝な暮らしは、飽き性の自分には珍しく、しばらく続いた。そんなある日、楠くんがやってきた。ヤツはケナゲにマットウに暮らそうと思っているときに限って、人の前に現れてペースを乱していく。悪い予感がした。 「ところで夏休みやろ、毎日なにしてんの」 「高校野球見て、ゴロゴロしてた」 「ヘタレやなァ、休みちゅうもんは有意義に暮らさな、月の砂漠へ行くで」 日刊スポーツの占い欄に乙女座の楠くんのギャンブル運は「読みがはずれます」とあって、ラッキーカラーは青と書いてあったから黄色いシャツを着て馬券を買った。そして「歯磨きを怠らないようにね」とも出ていて、その逆のこと、つまり馬券を買うまでに一週間歯を磨かなかったら大当たりだった。「オーティス・レディング・ストーリィ」を聴いていたら下町に行きたくなった。タクシーで首都高を走りながら楠くんはそのようなしょうもないことを話す。森下の交差点でタクシーを降りて、その辺をぶらぶら歩く。なんかありそでなにもないのが下町、頭のなかがどんどんカラッポになってゆくとともに、気がついたらサイフの中身もカラッポになっているのが下町。歩いているあいだ中、楠くんはハラガヘッタを連発、路地裏の飲み屋で冷えたビール。 「うめぇ、あんた、なんか食わへん?」 「俺、今、菜食中だからなァ」 ヤツはくくくと低く笑って 「どないしたん、高野山にでもいってお坊さんになるん」 馬鹿にしきった顔で皮肉たっぷりに言った。結局、ぬたと穴子巻と冷酒をニ合。出しの染みたごぼうと焼き穴子が口のなかでしゃりしゃりと、久しぶりの動物性タンパク。 「ウマイ」 アア、ウマイナァ。ハメられた、もう完全にヤツのペースだ。ヤツは人の心を見透かしたように上目に顔をうかがって、わざとらしく東京弁でこう言った。 「おい、煮込み食おうか」 白木のカウンターの真ン中に、ドカンと大鍋が埋め込まれていて、串にさした牛の内臓がグツグツトロトロとうまそうに煮えている。ハナからそいつが気になっていた。もう止まらない。どこの部分か判別できないそのグツグツトロトロを口にほおり込むと、口のなかで桜ミソと内臓の脂みがほどよく溶けあい、ギラギラと至福の陶酔。 「うまいか?そりゃうまいやろ。目の前に出されたモンをうまいと感謝して食うのんが、なんちゅうか、世間で言うナチュラルちゅうもんや。まァ、江戸っ子はもつの煮込みとマグロの中落ちで、たいがい痛風になるねんけど……」 ヤツは得意顔でわけのわからんことを口走り梅割り焼酎をかっくらう。 あとは奈落。 森下を後に浅草にくり出し、洋食屋でエビフライとオムライスとトンカツとチャプスイを食った。あげくにヤツはグラタンを注文しアツアツのそれをふうふうやりながら言った。 「ぼくに感謝しいや」 嬉しくて涙が出た。それから吉原近くの甘味屋の宇治金時でトドメを刺された。熱が出てきた。ただひたむきに氷りとアンコを口に運ぶ。店の壁にはフーテンの寅さんの写真。 「でも、だけどね、レントゲンだってね、ニッコリ笑って映した方がいいの。だって明るく撮れるもの、その方が」 地獄のふちで寅さんのセリフを思い出すも笑えない。「ウォリィ・ビーズ」が鳴り響く。 ひとつ目はね あのこのため ふたつ目はね このこのため ほら 皆 解きほぐされ どこでも行ける 思えば 今すぐ ニ〇〇四年、この八月に故小野志郎が最後に造った山中湖のはらいそで、どんと院祭りが行われた。これはどんとが亡くなって以来続いている祈りの一日に、小野の魂しいが融合したもので、「フィールド・オブ・ヘブン」を切り開き、「春風」を巻きおこしたすぐれた音のエンジニアであった小野にとって、山中湖のこの場所がひとつの約束の地だった。しかし、それも彼のライフ・ワークとして考えるなら、まだ旅の途中であったにちがいない。 去年の小野の死は、小野がこの約束の地をベースにこれから世界へ向けて新しい音楽を生み出そうとしている矢先だった。どんとも小野も命を燃やした音楽の本質は、戦争のない世界への想像と連帯を生み出すということにつきる。照れ屋の小野はそんなタイソーな大義なんてこれぽっちも顔に出さずに、きっと「イイネ、イイネ」とニコニコするだけなんだろうが。ひぐらしの鳴き声を背に、その約束の地で行われているパフォーマンスを眺めながらそんなことを考えていた。 ぼくの心の中には「命日」という日めくりのカレンダーがある。ムーン・カレンダーというのがあるけれど、そのようなもので月のみちかけの代わりに誰かの命日が記されている。それは小野のような近い友人もいれば、ボブ・マーリィやジャニスのようなミュージシャンもいる。そしてそのたいがいは三〇年近くぶらついていたカスミ町あたりで出会ったミッド・ナイト・ヒッピーたちだ。彼らの多くは社会性がなく、あまりにあけっぴろげで短命な奴が多かった。ぼくの心の中の「命日カレンダー」はそんな仕方のない連中でいっぱいだ。 「日々トリップ」というタイトルで書き始めたこの原稿は、八〇年代のカスミ町あたりの酒場で出会った人たちがテーマではあったのだけれど、考えたら書きたい人の多くがすでに他界している。今回の主役の楠くんも実は一〇数年前にこの世とおさらばしている。まだ四〇前の若さだったと思う。楠くんが最後にくれた年賀状には、ぶっとい文字で「フロム・ザ・ビギニング」と書いてあった。このことは感傷ではなく冷静な記録として、いつか機会があったら書きとめておこうと、彼がなくなったときにそう思った。 六年前に三田という古い町の裏通りに、ポツンととり残されていたレンガの蔵を改造して酒場を始めた。ときどき誰もいなくなった深夜にひとり、フルボリュームで音楽を聴く。ルー・リードやラウンジ・リザーズ。やっぱりそんな曲だ。ボロボロでひとり踊る。中年のタコ踊り。それから心の中の「命日カレンダー」を一枚ずつめくる。 ヤバイよな、明日は二日酔いだ。 |