冷害の悲惨さを
目のあたりにして、
模索した丈夫な稲づくり

 台風の余波で風の強い日、岩澤信夫さんと稲刈り直前の田んぼに出かけた。重そうに頭を垂れた稲穂は、度重なる台風にも倒伏せずに、力強く風になびいている。千葉県佐原市にあるこの田んぼでは、18年前から耕さないで成苗で田植えをする「不耕起移植栽培」を実践してきた。田起こしも代かきもせず、肥料には米糠などを使う。さらに稲を刈った後の冬の田んぼに水を張る「冬期湛水」との組み合わせで、丈夫で元気な稲が育ち、安全で美味しいお米が穫れるという。農業とは”耕すこと“とインプットされている頭には、にわかには信じがたい理論だ。
「わたしも最初はどうしてこうなるのかわかりませんでした。冷害に強くて、農作業を楽にしてくれる稲づくりを研究しているうちに不耕起に出会ったんですよ。やってみたら、稲は自然に鍛えられて丈夫になり、病気や冷害にも強くなっていきました。稲が元気なら農薬も使わなくて済むから、今までは除草剤のせいで減っていた生き物が田んぼにいっぱい戻って来たんですよ」
 岩澤さんは、もともとはスイカなどの栽培方法の研究をしていた。形・味・大きさの三拍子揃ったスイカの研究に夢中になっていた30年前、飛行機から東北地方の稲作地帯を眺めた時に転機を迎える。黄金色に輝き、どこまでも続くその景色。この時、岩澤さんはこう思ったという。「日本の農業の神髄は稲づくりにあるのではないだろうか」。それからは、米づくりの名人を訪ね歩く日々。そんな生活を送っていた80年、東北地方は大規模な冷害に見舞われた。
「冷害っていうのは言葉に表せないくらいひどい。窒素の行き場がないから稲穂は真っ青で、ひとつの穂に米が入ってるのが数粒という状態。農家は食べる米はおろか来年の種モミを取ることすらできない。これは経験したものにしかわからない悲惨さです」
 そんな過酷な状況でも、お年寄りが昔ながらの方法で、葉が5枚の成苗になるまで育てた稲で田植えをしている農家では、米が穫れていた。この事実に直面した岩澤さんは、冷害はお天道様のせいではなく、人災ではないか? やり方次第で冷害は回避できるはずだと直感した。さっそく生産現場での実験・調査を重ね、冷害に強い稲づくりの方法を模索していた時、オーストラリアのドライファーミング(乾燥地農業)で行われている直播きで耕さない稲作の文献を読み、独自に耕さない田んぼの研究を始める。その後、不耕起栽培の先駆者・福岡正信さんの著書で初めて「不耕起」という言葉に出会い、福岡さんの住む愛媛県にも教えを乞いに飛んだ。
 さらに何年も会員農家とともに試行錯誤した結果、昔の水苗代の手法を取り入れ、自家採種の種モミから丈夫な成苗を育てて、耕さない硬い田んぼに植えるという技術にたどり着く。結果、稲はたくましくなり、土壌構造が変わって米の味も良くなる。田んぼを耕さないのでトラクターが要らず、その分のエネルギー資源もいらない。代かきで濁った水や、農薬や化学肥料が混ざった水を流さないので、下流の河川や湖沼を汚さなくて済むなど、環境汚染の心配も激減した。一般的な稲作で行われている中干し(稲の分けつ後に地面を固めるために田んぼの水を抜くこと)をしないことで、懸念されている米のカドミウム汚染の被害も最小限に抑えられるという。
「自然界には、土を天地返しした場所はないんですよ。だから土を反転させる、つまり耕すってことは、自然を壊すこと。言ってみれば、今の農業は環境破壊の上に成り立っている産業なわけ。野生化した稲は、今年は寒いぞとわかったら、早く穂を出したほうがいいとか、ゆっくり穂を出したほうがいいって、自分で判断する。93年の冷害の年はヒマワリとコスモスが一緒に咲いたんです。彼らは気象変動を知ってるから。稲も同じなんですよ」
 岩澤さん曰く、不耕起栽培は「へそ曲がり農業」。まったく耕さないことは、惰農以外の何者でもないように見えるし、新しい挑戦をする農家には勇気のいることだったろう。しかし、今の化学農法から農薬を抜いただけでは、真の問題は解決しないということを、岩澤さんはわかっていた。無農薬での米づくりは、ともすれば、農家に多大な負担を強いることもある。不耕起栽培は、環境に優しいだけでなく、農家の労力を減らし、なおかつ増収が見込めるという、夢の方法でもあったのだ。  
 90年代後半、宮城県の田尻町では、蕪栗沼に飛来するマガンの水辺を増やそうと、地元の人の呼びかけで冬期湛水が始まり、不耕起栽培の田んぼでも冬に水を張ることになった。
「落ち穂が土に埋められてないから、不耕起の田んぼは渡り鳥の餌場になっていました。不思議なことに、冬期湛水をして渡り鳥がやって来た田んぼには、春に雑草が生えないんです。なぜかはわからなかったけど」 
 岩澤さんも最初は、渡り鳥が食べることで抑草されているのかと思っていたが、田んぼの生き物調査を行った結果、不耕起・冬期湛水の田んぼにはイトミミズが圧倒的に多いということが判明する。
 イトミミズは田んぼに播いた米糠や微生物などを食べて水中の酸素を取り込んで糞をする。その排泄物が田んぼの表土でトロトロした層となって雑草の種を埋め、発芽が抑制されていたのだ。生き物の住む環境を豊かにすることでもたらされた思いもかけない恩恵。これは、住処を回復してくれた農家に対する、田んぼの生き物たちからの贈り物なのかもしれない。









不耕起栽培は、
昔に還る農法ではなく、
新しい農業技術

 農薬も除草剤も使わず、田んぼの中の自然循環に任せる米づくり。これは、昔ながらの農法に立ち返ったということなのだろうか?
「江戸時代の稲作はおそらくこれに近いけど、あの当時はむしろや草鞋など、藁を農業資材や生活用品をつくる材料として田んぼから持ち出してたから違うんだよね。不耕起栽培は昔に戻ったわけではなくて、新しい農業技術。稲刈りの時にコンバインが切り刻んだ藁を田んぼの上に敷いた状態が、野山に木の葉が敷かれたのと同じ原理になって、自然の循環が出来始めた。一般の米づくりでは、この藁が敷かれた状態を耕して、地面の中に埋めちゃうんだけど、埋めないでそのまま置いておいて水を張れば、藁の養分を栄養源にしてサヤミドロなどの藻類が発生するわけ。この藻類が水中で光合成をして出す酸素がたくさんの生き物たちを生かしてくれるんです。害虫が出たら、カエルやクモが食べてくれる。不耕起・冬期湛水は、そういった自然の循環を断ち切らずに済むんですよ」
 田んぼという人工的な場所を自然循環の場に変えることで起こる現象は、我々の想像を遥かに超えている。水を浄化する作用まであるという。
「藻類は、田んぼの塩類を吸収して水を浄化してるし、水を張った田んぼ自体が、水道水をつくる緩速ろ化システムと同じ働きをしてるんです。お米を10
kg生産するのに、水を100トン浄化する計算になるんですよ。このお米を何kg食べてくれれば、綺麗な水がつくれますよ。カエルは何匹、イトミミズは何匹、トンボは何匹ですよ、と。こういうことになって来たわけ。この生き物たちは、次の世代に残して行く、日本の財産。今、化学肥料や農薬で、これをみな殺しにしてしまったら、種が断絶してしまう。それを止めるために、こういう農業をやって、次の世代に繋いでいかなくてはならない。生き物が住まない田んぼの米が安全であるわけはないんです。私たちの考えは完全な生き物トラストなんですよ」
 今、日本の田んぼは1/3が減反で米をつくっていない。専業農家に至っては、全農家数のわずか6%というのが現状だ。
「今、日本の田んぼが守れるか守れないか、これが大きな問題。今の農業は10
aあたり、ドラム缶約1本の石油を使う、エネルギー消費型の農業なんです。やがて来る資源枯渇の時代には、化学農法では米がつくれなくなってしまう。我々の米づくりは、米糠を入れて、あとは何にもやらない。水を入れるだけ。イトミミズやサヤミドロなど、田んぼの中の生き物のおかげで米ができるってわかった。これは大発見なんです」
 食糧自給率が30%を切ったと言われても、スーパーに行けば、世界の食材がどんなものでも手に入る時代。我々は、この状態はずっと続くという錯覚をおこしてはいないだろうか。それは、もしかしたら砂上の楼閣なのかもしれない。米を生産するだけの工場のようになってしまった田んぼに危機感を抱き、生き物の住める安全な田んぼの確立を目指して今も講演や指導で全国を飛び回っている岩澤さん。植物の生態や土壌の構造までも徹底的に調べあげた独自の理論は観念的でなく、説得力がある。
「孫の世代にメダカやトンボのいる豊かな環境を残してやりたい」とただひたすら願う気持ちがパワーとなり、岩澤さんをこれほどまでに奮い立たせているのだろう。