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神として生まれ、人として行い、 カムイの国に還る。 「長老に聞かれた。アイヌが考える人間の持ちモノで、一番大事なモノは何だか知ってるかと。なんか試されているなと思ってね。普通は財産とかお金とか、家。そういう『物』ではない。地位とか名誉でもない。精神的な心、根性、情熱とかそういうものかなと思った。『わかんない』と言ったら、長老は答えてくれた。『それはな、[アイヌレヘ]っていうんだ。[アイヌ]は人間、[レヘ]は名前という意味だ。お前の名前は?』。得平ですって答えると、『それがお前の一番大事な持ち物だ』ってね」 この考え方のベースには、アイヌ式の葬式があるという。 「お葬式で、その人の生前の行いを全て披露することが、あの世に行く条件なんです。隠し事をしていたのではあの世に行けないと。だから生前の行いは参列者に全部披露される。死んでも、名前はずっと残る。『トクヘイ』って名前を聞いただけで、お前を知っている人はみんなお前のことを思い出す。だから、名前を大切にしろってね」 そしてまた、赤ちゃんは『カムイ』、神様だから大切にしろと、長老は教える。 「生まれたばかりの子供は、腹が減ったら泣く。あやしてほしくなったら泣く。泣けば親は何をしてほしいかわかる。泣くだけで自分の欲求を満たせるのは赤ちゃん以外にないんだ。そんなこと、神様にしかできない。赤ちゃんは神様から授かったものなんだと。親は責任を持って育てるんだけれども、『カムイ』だから、親のものではない。『コタン(村)』のもの、みんなのものなんだ。だからきちんと大切に育てなさいというんですね」 身の回りのことについてどう理解するか。それを教えるのは長老の役割だ。 「アイヌの教えでは、年をとったら引退するという考え方はないんです。どのおじいちゃん、おばあちゃんに聞いても、死ぬまで働くんだという。身体が動かなくなってきたら、頭脳労働をしなさい。それまで蓄積したたくさんの智恵を、若者を育てるために先生になるんだと。長老はみんな先生なんですね。そして、いよいよ身体が衰えたらお迎えが来る。死んでいくわけです。逆に、若い連中は肉体がいきいきしてますから、村の長ですね。これは決してひげを長くしたおじいちゃんではなく、三十から四十代の若い人。人の先頭に立って走り、山を登り、獲物を捕る。だから生まれた赤ちゃんがカムイから長老になるまで、人間の役割について、アイヌの社会では、まったく自然のなりゆきのままにそうなる」 アイヌ文化を再発見する。 秋辺得平さんは、最初からアイヌであることに誇りを持ってきたわけではなかった。 「私自身は、完全に日本人として教育を受けてきました。アイヌだと学校でいじめられる。イヤでイヤで、徹底的に嫌っていました」 岡山で工芸作家をする兄の手伝いをしていた時、アイヌに目覚めた。 「倉敷の民芸館にアイヌの着物がいっぱいあるのを見つけたんです。正直、驚きました。何でこんなものがあるのかと聞いたら、アイヌの工芸作品は、世界的にも素晴らしいものなんだと。信じられなかった。はじめてアイヌをほめられて、それから興味を持つようになった。二一歳の時でした」 古本屋を回りアイヌの書籍を探していて出会ったのが、金田一京助のユーカラ全集だった。 「まず、開けてみてショックでした。読めないんです。アイヌ語がわからない。しかし文学としても素晴らしいものだという。世界三大叙事詩のひとつだと。それからアイヌの文化にのめり込んでいったんです」 |
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自然の恵みに感謝する 豊かな暮らし。 再発見した秋辺さんは、『衣食住』からひも解いていく。「衣」については、技術水準の高い着物を持っていた。 「食文化もかなり豊かなんです。穀物では、古くからヒエを栽培していたようです。五千年くらい前のヒエが函館から出土しています。アワやキビも作っていた。日本人は農耕民族で米を主食にしてきたという。稲作がはじまったのは九世紀、もっと古いかもしれないと言われていますが、その頃から『米』が主食だったのか? 少なくとも人口の半分以上の人が毎日食べられるような生産量でなければ、主食とは言えないですよね。実は、それだけ収穫できるようになったのは、統計では昭和十四年なんです。それまでは、お金の替わりとして作られていたに過ぎない。主食にしていたのは、一握りの人たちだけなわけですね。 それから、アイヌの人たちの動物性タンパク源は鮭と鹿。鮭は腹持ちがよく、他の魚には比較できないくらい優れているらしいんです。山菜も豊富です」 鮭は、アイヌ語で『カムイチェプ』。神様の魚と言われるほどに大切に扱い、工夫をこらし、あますところなく使いきる。その獲り方についても、自然と共存する知恵が伝えられている。 「長老の教えでは、鮭が産卵する前に乱獲してはいけない。だから鮭が子孫を残すことを疎外しないように産卵後に獲るんです。その時に儀式もある。産卵の邪魔をしないようにお祈りをして、最初に獲る鮭は狐の分、次は熊の分と放り投げる。なぜかというと人間が産卵場に行くと、他の動物は、みんな逃げる。逃げて山の中に潜んでいる。それにおすそ分けするんです。そして静かに、自分たちが背負えるだけ獲って、背開きにして乾燥させ、かんかんに乾いたものを背負って帰ってくる。産卵後だから、あぶらが抜けていて、よく乾く。こういうものは保存食として十年はもつと言われています」 それでは、「住」についてはどうか。 「奈良や京都に行くと素晴らしい木造建築がいっぱいあります。東大寺は世界最大の木造建築だって学びますよね。そうすると、日本人は古くから木造建築に住んでいたと思う。でも、調べてみると公家や武士、僧侶、ごく一部の人たちが木の家に住んでいたにすぎなくって、ほとんどの人は、竹で編んだものに泥壁で藁葺きや茅葺き。戸も木製ではなく筵だったらしいんです。庶民の暮らしでは、アイヌのほうがよっぽどいい家に住んでいた。衣食住、どれを見てもアイヌは未開ではない。むしろ現代の日本の文化観、価値観のほうが間違ってるんじゃないかと思うようになったんです」 自然と共存していくために。 「森林が魚を育てていたとか、山の木を切り過ぎたから昆布が獲れなくなったとか、社会がやっと気づきはじめています。商業漁業、商業農業が自然界を壊してきた。このままいったら危ないって思いますよね。実際に科学技術は素晴らしいものを持っている。ただ、使い方だと思うんです。活字によって多くの人に知らせるという行為もそうでしょう。あるいはジェット機で移動するなんていうのもそう。ただ、どこかでブレーキをかけていかなくてはならない。今、人間の心がすさんでいる原因はやっぱり科学技術の行き過ぎ、間違った使い方ですよね。テレビゲームも、特に戦闘シーンを中心にしたゲームがものすごくあふれています。そこに人間が生きて行くことの哲学がない。刺激だけ。だからそういう意味での変革は当然必要なんだけれども、変革させるための具体的な哲学はなんなのか。先住民族には自然と共に生きる知恵を蓄積してきた。それはアメリカのネイティブもそうだし、オーストラリアのアボリジニもそうだし、それを活用すればいいわけです。日本人とか白人が、どこかに置いてきてしまったわけですから、アイヌの智恵を借りたほうが早いわけです。自然を大切にしてどう共存していくか、どういう智恵を使うのかといったら先住民族の知恵だなと、私は思っています。しかし、残念ながらこれが集大成されて分かりやすくなった書物というのがない。私のように考える人間そのものが少ないですから。だから講演に呼ばれるわけですが、その時、いつも言うんです。私のようなものが、来てしゃべるっていうこと自体が、そもそも間違っている。こんなことは誰でも知っとかなくちゃいけない。こういうことは普通に教育されているべきなんだ。まだそこに到達していないっていうことは、たぶんまだ私が役に立つんだろうけれども、私が役に立たなくなったときが本当なんだと。早くそうなって欲しいのですが、だいぶ先の話しですね」 長老の知恵を受け継いで、語り歩く秋辺さんの旅は、これからも続いていくのだろう。 |
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