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| 農的暮らしを原点に共生・共働を考える。 精神に障害を持つ人と、そうでない人が共に働く農場がある。 協力しあいながら土を耕し、堆肥を作り、農薬を使わずに麦や米といった穀類、キウイ・イチゴなどの果樹、 野菜を育て、無添加の漬物をはじめ、ジャムやトマトソースなどを作り、販売している。 |
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| ■ たったひとりからのスタート 農的な暮らしの実践のため、どこかに根を降ろす場所を探し求めていた黒田肇さんが、愛知県美浜町・武豊町の農地を借りて農業活動をはじめたのは、1993年のこと。わっぱの会の仕事をはじめてから5年後のことだった。わっぱの会とは、いまから34年前に、障害を持つ者と持たない者とが共に生きることのできる社会を目指し、3人の若者が名古屋の街で共同生活を始めたことから生まれた。その試みは、国産小麦・無添加パン「わっぱん」の販売をはじめ、今日に至るまで「共に生きる場・働く場」を市内各地に広げ、共生社会の実現に向けて、社会全体に対しても積極的な働きかけを行ってきた。そうした活動の一環として、農業を基盤とした新たな「共働の場」作りの試みが、93年から、愛知県美浜町・武豊町ではじまった。地元の農家の協力が大きかったとはいうものの、はじめは黒田さんたったひとりでのスタート。名古屋から知多の農場に通うこと一年。やがてそこに、農場という働く環境が生まれ、障害を持った地元の人たちも作業に加わるようになる。その後に設立されたわっぱ知多共働事業所の代表を、現在、黒田さんが務められている。 ■ 輪になって連なっていける社会 「わっぱの会では、障害を持つ人がたくさん働いています。しかし、わっぱの会は福祉施設ではありませんし、福祉活動を行っているのでもありません。一般の福祉施設には、職員がいて、その職員に指導訓練される障害者がいます。わっぱの会ではみんなが働く仲間であり、普通の仕事をしているのです。たまたまそこにたくさんの障害者がいるにすぎません。なぜなら障害を持つ人にはなかなか働く場がないからです」いま、知多共働事業所には30名以上の人が働いているという。ここにいる人たちの多くは、精神に障害を持ち、仕事がしたくてもできなくなってしまった人、行き場のない人たちだ。そういった人たちが、田畑に種をまき、苗を育てていくことから新たな感動を味わう。農的な暮らしを楽しみながら共に働き、暮らしていくことから、お互いの長所、短所を認めあう人間関係が育まれる。この生活を原点として、障害を持ちながらも地域で自立生活を果たしている人も多いと聞く。また、そうしたなかで、農業、地域社会を円滑につなぎ、消費者が十分納得する良質のものを生産し、それ自体を事業として成立させる必要性にも迫られるわけだが、本当に大事にしたいことはやはり、それだけでは換算できない農的暮らしの豊かさを享受すること。農業を産業として捉えてしまうのではなく、自分たちの食べるものを自分たちで作るという基本的文化として捉え実践すること。そして、障害者だけが働く場ではなく、すべての人が共生できる持続可能な社会の実現こそが必要なことなのだと、黒田さんは提示する。 |
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