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木村 礎先生を偲んで 「村」を基底に日本の歴史を捉える。 |
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| 2004年暮れ、11月27日、木村礎先生が、脳内出血でお亡くなりになった。享年80歳。 歴史に興味がない方々には木村先生の名前はなじみがうすいだろう。しかし、1月30日に開かれた、木村先生とのお別れの会には、500名以上の方々が集まり、先生の残した偉業に敬意を表しつつ、別れを惜しんだ。 実際に現地に赴き田畑山野を歩く。蔵の中に眠っていた文書を一文字づつ解読していく。1949年、神奈川県津久井町にはじまった地道なフィールドワークは、東京・武蔵野、千葉県佐倉など晩年まで各地に広がり、その調査範囲は関東平野をほぼ網羅している。木村先生の研究は、研究者ばかりではなく、一般の人々にも影響を与えてきた。 「戦後の歴史学の流れは、天下国家を論じる歴史が中心となってましたが、民衆、庶民、普通の人々、都市部ではない場所で暮らす人々、そういう人々を中心に歴史を考える必要があるのではないか。そのような戦後の歴史学の反省から、木村先生が提唱されたのが村落史、あるいは、生活史という歴史の見方でした。70年前後ぐらいから、先生はそのような歴史の見方に確信を持たれたようです」 明治大学で木村先生に学び、自らも近世の農村史を研究し続けている門前博之教授が話してくれた。 「木村先生の専門家としての立場をわかりやすく言うと、近世史家、江戸時代の村研究が中心的テーマというふうに言えるでしょう。けれども、木村先生の場合は、村、『ムラ』を江戸時代だけに限定して考えていたわけではないんです。『ムラ』はもっと以前からあった。その『ムラ』を基底に置きながら日本の歴史を捉えていく。近世という一時代だけの『ムラ』研究ではなかった。古代から『ムラ』を基底において日本の歴史を考えていこうと、『日本村落史』をお考えになったのです」 とかく歴史というと、政治の流れ、都市文化の流れを中心に見ることが多いが、その時代時代に暮らしていた大勢は、都市部以外の場所で「農」を生業として生活していた普通の庶民だった。彼らは、どのように暮らし、どのようなことを考えていたのか。庶民の生活を見逃しては、歴史を見誤ることがないだろうか。また、そこに埋もれていた多くの知恵が眠ったままになってしまわないだろうか…… 木村先生がフィールドワークを進めていく同じ時代、日本は、戦後から高度成長期を迎え、バブル期を経て、「景観」も含めて、いろんなものが大きく変わってきた。同時に米の消費が減り、生産調整がはじまり、現在、日本の農地の約1/3は休耕田になっている。戦後60年、多くのものが急速に失われていく中、木村先生が地道に足を使って掘りおこしてきた江戸時代の村方文書は目録に採られ、その多くが保存されてきている。木村先生は、先生のたどった研究の軌跡や研究の方法について、三部作『村を歩く』『村の生活史』『村のこころ』(雄山閣出版/1998〜2001年)を残された。一貫して普通の人々から歴史を照射してきた先生の足跡は偉大だったと思わざるをえない。
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