ダライ・ラマ法王日本代表部事務所のホームページによると、ダライ・ラマ法王14世は1967年に初来日して、2005年4月は9回目(トランジットを除く)の来日となる。4月8日から12日間の日本滞在のなかで、法王は東京・熊本・金沢で計7回の講演、及び法話を行った。
ダライ・ラマとはモンゴルの称号で「大海」を意味している。歴代の転生者は、慈悲の観音菩薩、チェンレンシの化身とされている。観音菩薩は、悟りを得ても涅槃に入らず衆生を救済するため転生することを誓願された存在とされている。
4月9日に両国国技館で行われた講演のタイトルは『思いやりと人間関係‐Compassion and Human Relations』 。常に変わらぬ愛と慈悲の心の大切さを説いていただいた。



ダライ・ラマ法王14世テンジン・ギャツォは、チベット北東部のタクツェルという小さな村落で、1935年7月6日自作農を営む一家に生まれた。2歳の時に、ダライ・ラマ法王13世トゥプテン・ギャツォの転生者であるとの認定を受けられた。チベットの自由化のために非暴力による闘争を選択したダライ・ラマ法王は、1989年にノーベル平和賞を受賞している。
私自身もひとりの人間です。この世の中にはたくさんの人間がいるわけですけど、私自身もひとりの人間にすぎません。
 私たち人間のなかには、何かを破壊してしまう力も備わっています。建設的なことを行う力も秘められています。私たちが持っている感情のなかに「怒り」があります。怒りは破壊的なことをもたらす感情ですけど、それの逆の働きをする「愛」や「人を思いやる心」も、自然と私たちには備わっているのです。例えばある植物のことを考えてみれば、毒となる植物もあれば一方では薬草として人のために役にたってくれる植物もあります。
 私たちの心のなかには、常に良きものと悪いもの、建設的なものと破壊的なものが同時に存在しています。ですから破壊的なものを知ること、そしてより建設的なものの考え方を自分のなかにますます高めていくことが必要になってくるのです。そのためには何が破壊的な行為であるのか、何が建設的な行為であるのかを、はっきり把握して認識しなければなりません。
 慈悲の心、執着の心。この両方には似通った性格があります。お互い親近感を持っているという共通点があります。
 慈悲の心には偏見がありません。すべての人に対して平等に自分の心のなかにわき上がってくる思い。ところが執着の心には最初から偏見が存在しています。慈悲の心には智慧が備わっています。執着の心には破壊的な部分が入ってきます。執着の心というのは、ある特定の自分の身近な人にだけ持つものです。自分の身近な人には執着し、そうでない人には距離をおいてしまうことになります。本物の慈悲の心というのは、絶対に嫌悪の気持ちと一緒になることはありません。非常に広い視野を持っているもので、そこには怒りの気持ちが入る余地はないのです。
 私たちにとって何よりも大切なのは人間関係です。私たちは社会生活を営んでいく生き物です。ですから自分ひとりだけを考えていればいいというのは有り得ないことなのです。私たちはひとりではなく周りの人たちによって助けられ、社会によって助けられ、周りのすべてのことに依存することによって自分自身が生きていける。自分ひとりだけがこうなったらいいというものの考え方をし、かつ周りの人たちはどうなってもいいというようなものの考え方は間違っています。自分自身は、周りにいるすべての人に依存することによって、周りの人たちのおかげで生きている。自分自身のこれからの未来というのは、自分以外の人によって生じることを十分把握することが大切なのです。他の人たちと友好的な関係を育むために、一番必要とされている要素は愛と慈悲なのではないでしょうか。
 すべてのものは総合的に存在しています。同じひとつの対象物でも、こちら側から見たものと違った角度から見たものとでは、性格はまったく違って見えるものなのです。絶対的な価値というものは存在しておらず、すべてのものは常に移り変わるものなのです。ですから様々な見解があって当たり前。様々な人が違う意見を持っているのも当然なのです。
 同じ対象物を見る場合にも、人それぞれの意見の違いがあり、違った見方があり、違った捉え方があり、違った感覚があります。そして同じひとりの人間でも、時が違ったり別の考え方の観点から見ることによって、同じ対象物でも様々な見方が生じます。すべてのものに対して狭いものの見方をする場合には、私たちはいろいろなものに囚われ、自分の心のなかにジレンマが生じてきてしまいます。しかしひとつのものを見る場合に、よりよい観点に、広い視野に立ったものの考え方をしていくならば、いろいろなことをすべて受け入れていけることができるようになります。結果として、自分自身の心の持ち方もゆとりができるのではないでしょうか。
 こういったものの考え方をご自分のなかでさらに広げていっていただきたいと思います。そしてこういったものの捉え方、考え方が、それぞれの人にとって役にたつものであるならば、それをますます高めていくように、自分自身の心を訓練していっていただきたいと思います。