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『トントンギコギコ図工の時間』
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手を使って創造する喜び 文・片岡真由美 |
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舞台は品川の区立小学校図工室。図工専科のウチノ先生が、3年生から6年生の子供たちに物づくりを指導する。これは、子供たちが物づくりに熱中する様子を撮影したドキュメンタリー映画だ。 粘土をこねて好きな形をつくり、図工室にある窯で焼き上げる。角材に釘を打って、自由に「作品」に仕立てる。ノコギリで板を切って、自分の椅子をつくる。 ウチノ先生は、学年に合わせた課題を出し、自由に発想することを奨励する。手間がかかるアイディアもどんどんチャレンジするよう励ます。奨励する、励ますのは、言葉を使ってというよりも、ウチノ先生の態度がそう示しているのだ。「面白いね! どんどんやれ」「ほら、これを使いなよ」−先生の言葉は、子供たちの創造をサポートするために使われる。一枚の板から無限に創作できることを、誰よりも先生自身が興奮し、楽しんでいるのだ。そして子供たちは、自分のアイディアを形にするために、作業に集中する。 圧巻は、6年生の卒業制作だ。各自に一枚の板が渡される。何をつくるも自由。まずは厚紙で模型をつくり、ウチノ先生と相談した上で、実際の創作が始まる。その独創性と技術力の高さは、まさに大人顔負け。誰もが電動糸鋸をいとも簡単に使いこなし、精巧な作業を黙々とこなす。ナカミチ君のトラック(荷台に人がいる)、オオシマさんの白鳥(羽が動く)、トモコちゃんの半円形の入れ物(ドーム型の屋根も開閉できる)、ミナミさんのメリーゴーラウンド(回転する)。 3年生のとき、釘を角材に打ちつける第一歩から始まった創作実践の、総仕上げ。6年生の作品は下級生にとって憧れの的であり、6年生にとっては、達成感と卒業の実感の両方を味わう一大仕事だ。 手を使って物をつくる楽しさに熱中する子供たちひとりひとりの目の輝きがこの映画の主役。だが、最後、また4月が巡って新しい3年生が初めて図工室に来たとき、一瞬にして子供たちの好奇心をとらえるウチノ先生の教育者としての手腕が、この作品の根本を支えているのだ。 |
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『THE NOMI SONG』
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何処から来て何処に消えたのか? 早すぎた鬼才クラウス・ノミの軌道を追え! 文・遠藤聡明 |
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そのエキセントリックな容姿と、当時斬新であったオペラ的歌唱法。そして、何よりも「ゲイの癌」(エイズ)による著名人として初の死ばかりがクローズアップされ、純粋にクラウス・ノミという異端なるアーチストに対する的確な位置付けが成されぬまま、実に死後15年が過ぎ去ろうとしている。 奇をてらう訳ではなく、クラウス・ノミなる物体はどの星から不時着し、どの星へと消えて行ったのだろうか?本作のファーストシーンでもB級SF映像をコラージュする事で、そんな疑問を我々に投げかける。 ドイツ・バヴァリアに生を受けたクラウス・スパーパーがオペラハウスのアルバイト経験後ニューヨークに辿り着いたのは、マクシス・カンサス・シティーから萌芽したニューウェーブ・アンダーグラウンド・シーンが最盛期を迎える70年代末期。彼地で行われた「ニューウェーブ・ボードビル・ショー」で、ロック&ダンスミュージックしかないクラブなる音空間に、その後トレードマークとなる三角頭&ジオメトリックな白塗りメークの両性具有ロボットがオペラ、ワイマール文化という交配物を観衆にぶちまけた事で、一躍そのシーンで名を成す。この時期、アート、舞台&音楽の融合に無邪気なる情熱で邁進していたこの街の住人にとって、異邦人ノミは格好のサンプルであり、コラボレーションによる幾多の友情も芽生えた。短い生涯の内でも唯一エンジョイできた時期でもあった。デヴィット・ボウイ自身のオファーによる、人気番組「サタデー・ナイト・ライブ」での競演を境に、RCAとの契約(後にこの契約が多くのストレスを生む…)が成立し、全米、世界へと前途悠々たるノミだったが、自身の他人に対する異常なほどの猜疑心が災いし、一部熱狂的歓迎(@パリ)を受けるも孤独感は頂点を迎える。発病後は、民間人のエイズ感染の知識も貧しいまま、やがて近寄る友人もいなくなり、一人孤独な最期を迎える。 果たしてクラウス・ノミなる人物はこの世に存在したのだろうか?画家ケニー・シャーフ他多くの証言を、表現、友情、ビジネス、愛憎と異なる視野から語らせ、残された映像を中心にサンプリング感覚溢れる優れた編集力でノミなる人物を切り崩そうと監督アンドリュー・ホーン(「摩天楼に抱かれて」他)は試みるのだが「ET」に感情表現があった様に、異星人「NOMI」にも喜怒哀楽があったという事象に止まる。そして謎だけが残る。 |
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