転機となった2000年。

今年の3月に都市を離れて、自然に近い場所で暮らし始めました。
UA 性格的にグワーッとハンドルを切るようなところがあるんですよ。田舎って言っても、ちょうどいい感じのところなんです。多くの表現者が選んで移り住んでいる町で、新しい意識を持って暮らしている人も多い。カントリーライフを満喫していますっていうのではなくて、東京から遠いところに住んで大変だなって思うこともあまりないんですよ。たまたま使う高速道路があまり混まない。ズバーッと車を走らせることができて、気持ちいいくらい。仕事のために東京へ行ってワーッとやっている自分と、帰って来て山しか見えない静かな中でいる自分っていうのが、自分の左右の極を満たしているのかもしれません。

ふたつの極を行ったり来たりできている。それがUAさんにとって、いいバランスなんでしょうね。緑が近いところに住む、そういう欲求は昔からあったのですか。
UA 自覚はしていなかったですね。大阪のダウンタウンで育って、生まれてからずっと自然の中で暮らしたことは一度もなかった。知らないものだから、そのことを反芻できないっていうか。そういった意識を初めて感じたのは2000年くらい。自分でやっていなかったことをやるっていうのが続いたんです。そのひとつがサーフィン。ハワイのマウイでやったんだけれど、チャレンジしていた自分っていう毎日が、なんかすごく新しくてポジティブでいられた。「こんな私でいられる日本の場所ってないんだっけ?」みたいなことを考えていた時に、そう言えば自分の母の家系が加計呂麻島だ、奄美だって思い出したんですよ。それで加計呂麻島へ行ってみたりもしたんです。

サーフィンをやるきっかけはどういうものだったのですか。
UA 99年頃に「プライベート・サーファー」という唄をうたっていた。実際のサーフィンではなくて、時空のサーファーという意味合いだったんだけど。ハワイのノースショアへ行った時に、自分の持っていたハワイのイメージが覆っちゃって。ジェリー・ロペスのセカンドハウスがまだノースショアにあって、彼の家の横の道に立っていたら「この地球にはふたつのタイプしかいなくて、前から波が来た時に乗るタイプと乗らないタイプ。それだけだ」というジェリーの言葉を一緒にいた人が教えてくれた。「私は絶対に乗らないや」って思っちゃってね。

僕も乗らないタイプですね。どうしても臆病になってしまう。
UA 実際の海の波のことじゃなくても、目の前の波に乗るのか乗らないのか。なんかポンと背中を押された感じ。サウンド的にも、波を彷彿させる音にすごく惹かれていたんですよ。それはジャンルではなくて、自分が感じる波動っていうかさ。

自然に近い音ということ?
UA バンドサウンドであれ唄であれ、海っていうことだよね。決して水ではないから。波って不思議じゃないですか。遠いところから生まれて、ずっとこう岸辺に近づいてくる。波を想像させてくれるような音にすごく惹かれていたの。

サーフィンをやってポジティブになっている自分がいる。どこかに都市を離れるという気づきはあったんでしょうね。
UA そうなのかもしれないけど、2000年の段階では予想もできなかったな。高速に乗って通っている自分って想像できなかった。だいたいその年に車の免許を取ったんですから。

奄美の島唄の教え。

加計呂麻島へは小さな頃に行ったことはなかったのですか。
UA 自分のルーツに関しては非常に無関心で、それは育った環境だと思うんですけどね。母もそんなに幼少の頃を語ったりするタイプじゃないんですよね。意識の中に、ルーツのこととかがのぼらなく、私は30年近く生きてきたんですよね。
実際に行ってその島の空気に触れることによって、大きな何かに引き寄せられたということですか。
UA 97年頃に、ニューヨークのスタジオにいた時のこと。あるエンジニアが私に聞かせてくれた奄美の唄があったんですよ。その唄を聞いた途端に衝撃を受けちゃって。「これが奄美の唄なんだ」って勝手に涙が溢れてしまって。奄美への思いが馳せてはいたんだけど、なぜか奄美をすっ飛ばして沖縄へ行っていたんですよね。2000年に初めて奄美へ行ったんです。島唄もうたいたいと思ったので、そのCDの唄者である朝崎郁恵さんにお願いして習い始めたんです。
どういうことを習っているのですか。例えば発声とかも?
UA 一対一になって唄を伝えてもらっているんです。島唄は口承で伝えていかれるものなの。耳で聞いていても分からない。まだ5曲しか私はうたえない。
きっと朝崎さんも、奄美の唄者としての何かがUAさんと繋がっていると感じていらっしゃるんじゃないですか。唄に対する遺伝子が伝えられていくような感覚があるのかもしれません。
UA 最初は「私の母親が奄美である」とかいろいろ考えていたんだけど。唄を習うと、何かが、自分の人生で少し変わるんですよ。意識なのか、私に届くリズムなのか。変わるのは確実にいい方向なんですけどね。400年以上口承された唄が多いので、島唄には土から来るものがずっと残っている。音魂・言霊ということを本当に感じるんですよ。唄をうたえる今回の自分の人生。そういう意識を持てるようになったのは、きっと島唄を勉強しはじめたことが大きいと思うんです。



profile_UA
1995年6月に「HORIZON」でデビュー。現在まで17枚のシングルと6枚のオリジナル・アルバムを発表している。2003年にはNHK教育テレビ『ドレミノテレビ』にレギュラー出演。秋に公開予定の映画『空中庭園』では主題歌「この坂道の途中で」をうたっている。ちなみにUA(ウ〜ア)とはスワヒリ語で<花>という意味があり、 同時に<殺す>という意味も持っている。



農を唄の糧に。

家の窓から山が見えるような暮らしを始めてから3カ月あまり。自然と関わり合った生活は慣れましたか。
UA 正直言って定住するとかね、ここがずっとの場所とか思ってはいないの。場があって何かが始められるっていう感覚って憧れでもある。ただ私にはっきりしていることは唄をうたっていくんだということ。農業にしても、農業をしたいからここにいるのではなくて、唄をうたっていきたいからここにいるんですよ。唄をうたっていきたいから農業もしている。

農業も唄のためのひとつの体験であると。
UA そう。そして唄って、もの凄く私にとって根元的なことで大切なこと。
自宅の周りでは、何かを作ったりしているのですか。
UA 庭でハーブを育てています。
徐々に自分でも野菜を作っていきたいと思っているのですか。
UA そうなんですけど、家の庭はそんなにいい環境じゃないんですよね。だったら畑を借りたほうがいいだろって感じの庭なんでね。
いつかは自分の場所を見つけたいという欲求は頭のどこかにはあるんですよね。
UA ありますよ。ありますけど、
まだ全然具体化できないんですよね。場所が先なのか精神が先なのか。まだ分からない。本当に分からないですよね。だからあまり考えない。ただ無関心でいたいとは思わないんですよ。その時その時に関心のあることをとことんやりたい。今は農業にググーッと入っている。思ったことをやっておかないと、また次に行かれないので。
話を聞いていると、ハンドルを切った後、その要因となったことに集中するタイプのように思えてきます。
UA なんかそうなんですよね。ようやく今、農業という事柄が楽に思えるようになった。何を見ても「ワー、ワー」っていうのが、この2〜3カ月だったんです。
しばらくライブをしていないと、
ステージに立ちたいという欲求は出てくるのではないですか。それがシンガーとしての性だと思うんです。

UA 唄をうたうことで自分を好きになって来られたと思うんですね。自分のことを吐き出すようにうたってきたんだけど、ようやく自分ではないこともうたえるようになってきて。でもやっぱり唄をうたう私がないと、オロオロしているっていうか。本当にダメ野郎なんですよね、普段は。何も特別にできることはないし。
唄をうたって人に思いを伝えられる、それだけで大きな存在意義だと思います。
UA ひとり木の下にいたなら、どんな唄をうたうかなって考えたんです。たぶん唄をうたうことってひとりだと
やらない。他に人がいて、望まれていたりとか、自分が唄をうたいたいと思った時に、唄が自分の身体から出てくるんじゃないかって。それは人間らしい行為じゃないのかなって思う。
何かを伝えるために唄はあり、何かに導かれるようにして唄をうたっているんですね、きっと。
UA 伝えるっていうか‥。前は私のいろんなことを聞いてもらっていたみたいなとこがあったかもしれないんだけど、媒介としてというか、どこからか降りてきたものを自分の身体を通して次に繋げているだけ。私の身体であれば自由に使ってください、っていう感覚なんです。
日比谷野音、サントリーホールと続くライブを期待しています。