vol.09
文 ・ 川内一作
絵 ・ 遠藤聡明









   奥山住いのウグイスは
   梅の小枝で昼寝して
   春が来るよな夢をみて
   ホケキョホケキョと鳴いていた

 嘉手苅林昌の「十九の春」には南島の夕暮れどきの静かな幸福感があるし、高田渡の「十九の春」を聞くと、吉祥寺の伊勢屋でゆるっと焼トンをほおばりたくなる。
 そういえば恵比寿駅の東口で、おでんの屋台をやっていたおゆきさんのオハコが「十九の春」だった。気の置けないお客が集まると嬉しそうに「十九の春」を歌ってくれた。おゆきでは、いつも真冬のカキンと寒い時期に飲んでいたような気がして、なんだかおゆきさんのは雪国の「十九の春」といったカンジ。おゆきさんが山形の出身だということもその理由のひとつかもしれない。
 ともかくおゆきではずいぶん飲んだ。芦ノ湖ぐらいは飲んだか、多分。そしてアレコレと世話になった。八〇年代からだから足掛け二〇年ちかくになる。カスミ町のクーリーズ・クリーク、代官山のスワミ、青山のカイ、とそれぞれに遊び場を移したけれど、シメはいつもおゆきでアルコールしか入っていない胃ぶくろをおでんで満たした。おゆきのメニューは豊富だったな。おでん以外にもキーマカレーとか鯨のステーキとか・・・鮎の笹焼きとかね。
 「はいよ、愛の囁きね」
 なんてサムイことを言いながら笹にくるんだ鮎を焼いてくれたっけ。まだ、旧恵比寿駅の頃、東口はポッカリと広場になっていて空が広かった。古い石垣の下の公衆電話ボックスのわきにおゆきのあかりはついていた。
 その公衆電話がときどき鳴る。
 こんなのありかよと思うけれど、予約の電話だ。ほどなく黒いベンツがおゆきの前にとまり、銀座のおネエさんたちの登場。
ー ああ、お腹すいた。おゆきさん、コンニャクとちくわぶとおゆきしぐれ。
ー あいよ。
 ビールのセンがおゆきさんの膝の上でポンとあく、おネエさんのえりあしからぷんと化粧が匂う。ちょっとくたびれた匂い。金曜日ともなるとお客さんは屋台におさまらず、ビールケースの上にベニアをのっけただけのテーブルが広場のアチコチに置かれ、ワーッと盛りあがる。妹のマサミちゃん、これも相当年期が入っているからおゆきさんはあの頃いくつだったのだろう。六〇は過ぎていたか、ともかくマサミちゃんがそっちこっちのテーブルを走りまわって料理を運ぶ。
 夜の底の底、午前三時の解放区、なんかフェリーニかゴダールを観ている気分。恵比寿東口アマルコルド広場には、気狂いピエロもいればグラディスカもやってくる。クーリーズ・クリークでラリッて、タクシー・レーン、インクスティックと徘徊し、最後はおゆきで癒された。今はバンコクに住んでいる山根くんが失恋してボロボロに泣いたのもおゆきだし、青山のカイをたちあげる前に相棒だったケンちゃんと、アレもいいねコレもやろうよと熱く語ったのもおゆきだ。
 時代はバブル前夜だからもうイッている。頭のなかはジョン・レノンかボブ・マーリィ。
 「金か、金ならないけど愛はある」
 タテマエだけの愛をひけらかしての貧乏自慢。シャレにならなかった。言いわけばかりをしていると「愛はサカナになんないよ、ホレ、クジラ食べな、戦後日本人はクジラで育ったんだから」おゆきさんのツジツマのあわない山形なまりのムチがようしゃなく飛んだ。

   もとの十九にするならば
   庭の枯木を見てごらん
   枯木に花が咲いたなら
   焼いた魚も泳ぎ出す

 おゆきさんが交通事故で亡くなったのは一九九九年の真冬だったと思う。キリガヤ斎場だったか、葬儀場は十年前の自分のような若者たちであふれていた。金髪もいれば銀髪もいる。ドレッドもいればパンクもいた。朝までどこかで飲んでここにやってきたのだろう、みんな酒が抜けていない。夜にしか会わない人種だからこんな時間は恥ずかしい。およそ式と名のつく場所に参加するのが苦手な連中ばかり、東京の夜の底でグルグルしている不良たちが照れくさそうにうつむいて、場ちがいなカンジでボーゼンと浮いている。誰もしゃべらない。長い長い沈黙。あれは何だろう、ああいう沈黙に出っくわすと、なんだか二〇歳の頃を思い出して、言葉というものがただの記号に思えて突然言語障害になる。ナンカそのようなカンカク、地位とか名誉とかにまったく無縁なものだけど、彼らが大切にしていたいもの、つまり、社会で言うカッチョいいことが実はカッチョ悪くて、カッチョ悪いことがホントウはカッチョいいんだということ、六〇を過ぎた山形なまりのおばさんと彼らが共有できていたものは、うまく言えないけれど多分そのようなことだ。 
 ときどきこう思う。
 こんな暮しにくじけてチッソクしそうになると、どこか海辺で、たとえばハワイとかそのような美しい場所で暮そうとか、そんな殊勝な思いにかられるときがある。そして真夜中のアマルコルド広場からとんずらしようとするのだけれど、そのたびにおゆきさんの顔が出てきてイヒヒヒと笑うのだ。
 「金か、金ならないけど愛はある」
 カイショウもないくせにキイタフウな口をたたいたあのときが恥ずかしい。

 アンタ、男だったら愛も金も両方あるモンだよ

 大義なんていらなかった。ささやかなお金と愛があればいい。

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