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永続可能な社会のための、自然農という生き方。
土地を耕さず肥料や農薬を用いない、そして草や虫を敵としない生命の営みに任せた農 −自然農。
永続可能な農業、永続可能な社会。
それが現代の大きな課題であるとするのなら、その答えのひとつが自然農には秘められている。
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どこにでもある風景のなかで。
奈良市から国道一六九号を南下する。奈良の古い街並みを抜けると、次第に日本のどこにでもあるような国道沿いの風景が広がる。国道の東側は笠置山地の山々が連なっている。西側に広がっているのが奈良盆地だ。この地域では、ため池かんがいなどの技術を伴った高度の農業が古代に発達したことによって、稲作がおよそ一五〇〇年も前から行われていたと伝えられている。
奈良公園からほぼ二〇キロ。進行方向左手に、深い緑の木々の生い茂った森が見えてくる。景行天皇陵だ。およそ二〇〇年続く川口家の田んぼは、この古墳を有した森を水源としている。一六九号からわずか西に数十メートル降りたところにその田んぼはある。
『耕さず、肥料・農薬を用いず、草や虫を敵としない』ことを掲げた川口由一さんの自然農。国道からでは、車で走っていてはもちろんのこと、車を停めて瞳を凝らして探したとしても、どれが川口さんの田んぼなのか見つからない。都市に住み、ほとんど田んぼの風景から離れた生活をしている私の目には、なおさらそう映ってしまう。
川口さんの田んぼにお伺いしたのは一一月前半。周囲の田んぼは、すべて稲刈りを終了させていた。川口さんの田んぼだけ、まだ黄金色に輝いていた。
「四月末に種を撒いて六月に田植え、そして一一月に稲刈りです。それが毎年の決まったサイクルです。気温が低くなって冷たい空気が上から降りてきたら、身がしまってそれまでなかった成分が生まれるんだと思うんです。柿も一度霜にあたると糖分が増す。柿は冬の初めに一生が終わる。ちょうどお米と一緒なんです。お米も霜が降りてから刈ったほうが甘くなりますのや」
稲刈り直前だというのに、茎は青々としてる。瑞々しくて太い。実った穂の重さで頭を垂れているものの、一本一本スクッと立っている。前の年に実った一粒が、七ヶ月間に及ぶ田んぼでの成長で、二千粒から四千粒へと種子を増やしている。
「肥料を使って耕して作っている場合は、養分がお米に吸い取られたら、稲はもう元気に生きておられないんです。秋落ちと言いますけど、秋になったら茎は弱くなってしまいます。台風で倒れるとか、虫が大発生するとか、そういうことになってしまいがちになるんです。自然農の田んぼは、足元が常に豊かでしょ。草の亡骸の層が足元にありますから。お米はよく育てられる豊かな足元のところで、半年から七カ月の命を充分に生きられます。いくら土に養分があって豊かな足元のところでも、寿命がきたら死んでいきますのや。いい環境のところで、全うして死んできます。だからうちの田んぼでは、稲刈り間際まで元気で茎も固いんです。刈ったらサクサクという音がします。ひどい土地のところで育てられた稲は、そんな音はしません。藁が軟らかくなっています」
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自然農への転換。
川口さんが自然農という栽培方法でお米を作るようになって今年で二八年目になる。専業農家だった川口さんは、それまで周りの農家と同じように耕運機を使って田んぼを耕し、雑草駆除のために農薬を撒くという農業をしていた。なぜ自然農へと変わっていったのか。それは身体の不調が大きな要因だったという。
「化学肥料の農薬を使って、機械を使って、石油を使っての農業を二三年やっていました。身体も心も疲れてくるというか、肝臓の機能がうまく働かなくなってきて、病院通いが多くなったんです。当時農地を大規模にして経営するという国の方針が出てきました。代々小作農でしたから、そこまで大きな土地はないし、農業に未来を感じられなくなっていたんです。そんな農業が楽しくなかった頃、有吉佐和子さんの『複合汚染』の連載が朝日新聞で始まりました。農薬を便利なものだと思っているんだけど、身体は疲れてくるし、精神は楽しくなくなっていく。田んぼから帰ってきても、殺虫剤や農薬を使った日は逃げて帰ってくるようでしたから。そんなときに有吉さんの連載を読んでびっくりしましてね。僕はこんな怖ろしいことをしていたのか、こんな怖い農薬を使っていたのかと。怖いものならば絶対に使いたくない。そういう農業はしたくないと思ったんですわ。同じ頃に福岡正信さんが自然農法、藤井平司さんが天然農法という言葉で警鐘をならしておられた。三人の書物を手にすることによって、ひとつの手がかりを頂きまして。それまでの農業を止めて、自然農として一歩を踏み出したんです」
しかし、自然農に切り替えてからの三年はほとんど農作物の収穫が得られなかった。土を耕さず、農薬や肥料を使わずに草や虫を敵としない農法では、翌年の種を取るくらいしか収量がなかった。それでも川口さんには、この自然農という農法によって、いつかは肥沃な土となって豊かな実りにつながっていく未来の姿が見えていたという。
「三年はお米も全滅でした。それでも続けた一番大きな理由は、辛い農業にもう再び戻りたくなかったから。もうひとつは経験から、自然農で作物が育つはずだという確信があったんです。育てられないのは僕の手の貸し方が拙いから。手の貸し方をうまくやれば必ず育つという確信があったんですわ。お米や野菜を育てることに固定概念がありました。人間のこちら側で形を決めて作物に従わせる、そういうやり方を多くの人は農業でもやっているわけですのや。僕もそうでした。いろいろ試行錯誤でやってみました。農作物を育てるためには、土地の状況だとか作物の性質だとか天候に合わせていかないといけない。人間の都合のように形や時間を決めてはダメなんだ。その気付きが得られたことが大きくて、なんでも育てられるようになるまで一〇年かかりました」
耕さず、雑草を抜かない稲刈り途中の田んぼに入らせてもらった。ふかふかのふとんに立っているような感覚。何度か他の収穫時期の田んぼに立ったことがあるけれど、それらとはまったく足の裏から伝わってくるものが違う。そして素手で土に触れてみると、腐葉土は水分で満ちている。歩く場所を間違えると、ズボッと足を泥に取られてしまうところさえあった。
二七年間不耕起を続け、幾層にも草が重なってできた腐葉土の田んぼは、動物に例えれば赤ちゃんの寝床のようなものなのだろう。お米や野菜を育てる、まさに母なる土がそこにあった。
「本来なら土があるところには草が生える。田んぼ一面に草が茂るわけですよ。前は死の世界にお米だけを植えていたんです。他の草が生えてきたら除草剤をふって、虫が動いていたら殺虫剤を散布する。他の生物が生きられない死の世界に田んぼをしてしまっていた。そんな死の世界から田んぼが甦ってきたら、僕の心も和んできて。農をする辛さがなくなって、それだけで僕は良しだったんですよね。たったひとつの品種しか生えていない場所なんて、地球を考えてみれば異常な姿ですよ。できるだけ命の環境にふさわしいように手を貸してあげる。作物の育つか育たないかにおいては一切手を出さないで任せます。水を入れてあげないと実らないことも多い。今ではお米が育つ環境ではなく、人間の都合で健康に育たないような環境にしてしまっているわけです。肥料をたくさんあげることも人間の都合ですわ。他の命を邪魔者にしてしまうことも、お米が健やかに育つ環境ではなくなることにつながります。虫や草は決してお米の敵ではありません。他の命が生きられる土や環境があってこそ、初めてそこでお米も育つことができるわけですわ」
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profile_川口由一
1939年、専業農家の長男として生まれ、中学卒業と同時に農業を引き継ぐ。農薬をつかった農業のなかで心身の状態を損ねたことをきっかけに、自然と共生する農の在り方を模索。70年代中盤から自然農に取り組み、今年で28年目を数える。自然農の実践は映画『自然農ー川口由一の世界』としても記録され、各地で自主上映が続けられている。「妙なる畑の会(奈良桜井市)」「赤目自然農塾(三重名張市)」などの学びの場を通し、自然農を全国に伝えている。 |
妙なる畑の会・赤目自然農塾のお問い合わせ
http://iwazumi2000.cool.ne.jp/
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自然農塾という学びの場から。
現 自然農を学ぶ<学びの場>は、東北から九州まで全国に点在している。川口さんはかつていたるところで指導にあたっていたが、今後は自らが定期的に行くことを少なくしていくという。これからも定期的に指導するのが、ご自身の田んぼと赤目自然農塾だ。
幹線道路から奥まった三方を山に囲まれた棚田の赤目塾は、奈良と三重の県境に位置している。田畑として三〇年も使われていなかった場所を開墾し、赤目塾が始まったのが一五年前。少しずつ面積を広げ、現在では約二町七反(八一〇〇坪)。谷に一歩足を踏み入れると、生命の営みに満ちていることを実感する。農の楽園と表現しても言い過ぎではない。赤目塾に、暮らしも仕事もさまざまな老若男女が日本各地から通ってきている。農とは無縁だった人も少なくない。塾生は多い年で三〇〇名あまり。田んぼの場所は塾生が自分で決める。一年を通して自分の田んぼで農を実践しながら自然農を学んでいく、しかも土地の使用料や授業料は無料というシステムを取っている。
「自然農をやろうとする人は、お金がない人が多いですよ。人生の大展開に差し掛かっている人も多い。脱サラしている方とか学生さんとか。遠いと交通費だけでも大変なんですわ。僕にしてみたら、教える覚悟をしたならば少しでも多くの人に勉強してもらいたい。誰でも参加しやすくするのには無償でやるのが一番いい。僕は自分の畑や田んぼで作物を育てていますから、無償になっても飢え死にしないという確信があります。それと無償にすることが僕にとっては一番実りが大きい。お金に囚われなければ学びが深くなる。実際に三〇〇人学んでいたら、三分の一くらいの人が折々にお金を届けてくれているみたいです。一〇〇人は喜びのなかで感謝の気持ちを持って届けてくれる。残りの二〇〇人は無償で勉強できている。『あ、これは良かったな』と思って。お金を義務として強制しない、共同作業も仕事や時間を課さない。自由にしておいてあげるんです。赤目塾で育った人があちこちで学びの場を開いています。それが僕にとっての一番の喜びなんですわ」
赤目塾で学んだ人は、一五年間で二〇〇〇人を超える。基本的にはグループには貸さず、ひとり(もしくは一家族)で一区画を受け持つ。だからこそ、いろいろな田畑が赤目にはある。うまく手を貸して野菜やお米を育てているところもあれば、まったく来ないで荒れ放題になっているところもある。ひとりで続けることからこそ、新たな気付きを見つけられる、気付きこそ農に限らず人間の生活になくてはならないもの。それが川口さんの教えのベーシックに存在している。
「世間では手作業だから慰めごとの域を出ないとか、あるいは人類の食糧の確保をそんなことでできるのかって言われたりする。だけどそんなことはないんです。視野を広げて、環境問題とか人類の未来に焦点を合わせても、自然農は決して問題を招かない最善の栽培の方法ですのや。人類の抱えているテーマは永続可能な農業、永続可能な社会。永続可能でなければ、もとが無くなるわけですから。田んぼは常に育ててもらう場所です。大自然界における命あるものとしての人間の定めを悟らせてくれる場ですわ。自然の摂理から外れることなく、自然の摂理に則った、命に応じた栽培の仕方を僕はしているうちに育てられて、その途上でいろんなことが見えてきたと思うんです」
川口由一さんの農に対する深い気付きは、全体から見れば少しずつかもしれないけれど確実に日本に広がっている。農薬や機械を使わず、自らの手足と古くから伝わる道具を使っての農法だから、自給自足的な生活を目指している人にとっても最適な農法に違いない。
農とは本来喜びに満ちたもの、自然農はそのことを気付かせてくれる。
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『自然農』
川口由一 + 鳥山敏子/晩成書房
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『妙なる畑に立ちて』
川口由一/野草社
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| 1995年の1年を通じて取材して作られた記録映画『自然農ー川口由一の世界』。その季節毎の撮影のなかで語られた、実践から得られた自然農に関する思いと地球への愛情。「賢治の学校」などでワークショップを重ねている鳥山敏子さんとの四季を通しての対談集。 |
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自然農を10年近く実践し、人に優しく地球に優しいと感じ取った著者が、雑誌『80年代』に自然農に関する連載を始めたのが1987年のこと。本書はその連載をまとめたもの。連載・本の出版によって、自然農の概念が多くの農を求める人へ伝わっていった。 |
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