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■ ニューヨークでの出会い。 九〇年代前半。クラブカルチャーが日本でも蠢きだしてきた時代。東京・南青山に真空管という名のクラブがあった。レゲエ好きの若者がそのクラブで働いていた。 「水曜日がロック・ステディで土曜日がダンス・ホール。すんごくオールド・レゲエの水曜日が好きで、しだいにロック・ステディの生音の良さと優しいグルーヴにはまっていったんです。真空管には様々なタイプのお客さん来て、いろんな意味で視野が広がった。数年働いて、自分なりにもう東京は見えちゃったかなくらいに、エラソーに思っちゃったりしたんです。東京にはもうこれ以上刺激がないのかなぐらいにね」 新しい刺激を求めて彼はニューヨークへと向かった。九五年のことだ。 過ぎていく日々が増していくにつれ、渡米前に持っていた夢や情熱は薄れていってしまったという。何をするためにニューヨークで暮らしはじめたのかが見えなくなっていった。都市のなかに自分という個が埋没していく、そんな恐怖に近いものが彼の心のどこかにあったのかもしれない。 そんなある日、マディソン・スクエア・ガーデンで行われていたレゲエ・アワードへ行った。そこでフライヤーを配っていた黒人に声をかけられた。彼の人生を変えるターニングポイントがそこにあった。 「黒人のドレッドのヤツが話しかけてきたんです。DJをやってるから遊びに来ないかみたいな話になって電話番号もくれて…。その黒人の名前はラス・クーシュ。ブラック・ミュージックが凄く好きだったんで、黒人と交流したいと思ってたんですよ。出会った翌日にクーシュに電話をして、彼が住むブルックリンに連れていってもらったんです。それまではブルックリンへは行ったことがありませんでした。まず行ったのがラスタ・ストリート。レコード屋とか、ジャマイカやレゲエのカルチャーグッズをいろいろ売ってるストリートでね。もう凄いカルチャーショックだったんです。うわ、黒人しかいないなみたいな。もう一気にクーシュと意気投合しちゃって。ラスタとして暮らしてるバイブレーションっていうか、そこに凄く惹かれちゃって。当時はニュージャージーに住んでたんですけど、川を渡った反対側に時間を見つけて通い出したんですよ。暇があったらクーシュのところへ行って、とにかく話をする。そこにいると、音も聴けたし飯も出してくれた。そしていつしか自然とブルックリンに住むようになったんです」 クーシュが出してくれた料理がアイタル・フード。肉や魚、卵を使用しないジャマイカの菜食だ。実はブルックリンでアイタル・フードを食べるまで、彼は玄米すら食べたことがなかったという。 「ニューヨークと東京で、ブラック・レデンプションっていうサウンドシステムのレーベルをやってまして。そこのパートナーとして今でも仕事してるのがクーシュなんです。それこそ僕にアイタル・フードから、ラスタファリズムの故郷であるアフリカンヒストリー、占星術まで。全てを俺に教えてくれたのがクーシュでした」 音楽を聞き、アイタル・フードを食べ、いろいろな話をする。深い世界へ入っていく。そして新たな出会いを重ねていく。後に彼のソロ・アルバムをリリースするワッキーズ・レーベルのブルワッキーと出会い、ピアニカと出会う。彼はどんどんレゲエの持つ世界観に傾倒していった。一人のレゲエファンからレゲエのアーティストへと変容していった。 ラス・クーシュと出会ったことによって、彼はラス・タカシとなった。 |
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■ 自然な食物、真実の食物。 ジャマイカの宗教であるラスタファリズム。ラスタとはアフリカ回帰を願うジャマイカ特有の思想や運動のことだ。自然と共に生きるというビジョンもラスタは持っている。ラスタを信仰するラスタマンは食事に対しても厳格なルールを掲げている。ラスタマンが食べる食事をアイタル・フードと呼ぶ。アイタルとは〈自然な〉とか〈真実の〉という意味を持っている。つまりアイタル・フードとは加工されていない食品のことだ。肉類を食べるのは禁じられている。魚は小さなものなら食べることを許されているけれど、まったく食べないラスタマンも少なくない。 ラス・タカシさんが菜食へと変わっていったのも、ラス・クーシュとの会話がきっかけだった。クーシュに導かれるように、まず肉を食べることを止め、そして魚を食べることを止めた。 「東京にいた九〇年代の前半は飽食の時代。バブルでグルメが蔓延していた。俺、菜食っていうことがあることすら認識してなかったんですよね。クーシュが『これ野菜だけだよ』って言って出したものを喰ったら、美味いんですよ。多分ラスタマンの中にも説教深い人もいると思うんです。こうやったらダメだ、あれもダメだみたいな。おそらくそうやられていたら拒否反応が出てたと思うんだけど、クーシュは包んでくれるような感覚で俺を迎えてくれてた。ある日クーシュに『もし君が牛肉を食べたいんだったら、生きてる牛を探して、ちゃんと殺して食べるという行為をした方がいいと思う』って言われました。『お前にそれが出来るのか』と。確かにそこを考えたことがなかったんですよ。肉を買うことによって全体のシステムをサポートしているわけだから、牛は殺され続けるんだよって言われて。家に帰っても、不思議なことを言われたなぐらいな感じで、クーシュの言葉の奧に潜むメッセージを理解できなかったんです。で自分でもう一回噛み締めて考えて直してみたら、ああやっぱり俺には牛を殺せないなという結論に達して。そこから肉に対する食欲は一気になくなったんですよ」 |
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■ お米ワークショップに参加して。 ニューヨークで四年あまり暮らした後に帰国、ダブセンスマニアを結成した。アイタル、英語で言うビーガンになっていたラス・タカシさんは音楽活動と並行して、カフェで働きはじめた。 「ニューヨークでは、ビーガンのレストランとジャマイカ人がやってるレストランと二カ所で仕事してたんです。日本に帰って来て、カフェをちょっと手伝ってくれないかっていう話があって。もしビーガンだったら俺はやるよって言ったんです。チキンとか、フィッシュとかあるキッチンなら、俺働けないって言って。結局、そこは希望通りビーガンのカフェとしてスタートしたんです。で、まずはビーガンをやるのには確かな食材が必要じゃないですか。いろいろと調べて、農家の人に会いに行ったりとか、無農薬の玄米を探したりとかしたんです。日本では全部無農薬野菜でやるのってどうしてもきつかった。出来るだけ無農薬の食材を入れて、足りないものを補填してくってかたちではやってたんですけど。そこで初めて無農薬で野菜を作っている人たちと会ったんです」 ビーガンとは肉類や魚類を食べないベジタリアンから一歩進んだ、卵や牛乳も口にしない絶対菜食主義者のことだ。 日本で、特に見知らぬ土地で菜食主義を貫くことは厳しいはずだ。肉・魚・卵をまったく使わない料理を、レストランで探すのは難しい。ラス・タカシさんは、ツアーではご飯に納豆、そして持参した味噌にお湯を入れた味噌汁というパターンが多くなってしまうという。 「基本的には赤い血が出る物を外してるんです。こういう食生活をしていると身体がピュアになっていくのが分かりますね。こう何か澄みわたってくるというか、クリアになっていくというか。多分…もちろん今でも心の迷いみたいなものはあるんですけど、そういう迷いが凄く減りましたよね。以前には、それこそクラブで働いてた頃なんかは酒も食らってたし。肉も食って、夜働いて昼間寝るみたいな生活でしたから。楽しい時は絶好調に楽しいんだけど、何か変なところにはまるとネガティブな方向へ行って、凄くモワモワ考えちゃったりとかしてたんです。やっぱり食事を変えてから下に落ちる感じはないんすよね」 ラス・タカシさんは千葉の長柄でお米のワークショップに参加している。本紙創刊号のインタビューに登場していただいた中野雅蔵さんの田んぼだ。ラス・タカシさんと中野さんの出会いは、山梨で開催されたレゲエのイベントでだった。 「初めて会ったときから、すでに何十年も前からの知り合いのような感じでした。そして長柄へ遊びに行くようになって」 そして〇四年からお米作りをはじめた。 「田んぼに裸足で入ったときにはほんとに気持ちよくてね。アースされてるなあと感じますよ。料理に関しても、結局作り手のバイブレーションが大事なんですよね。嫌々作ってたら美味しい料理にならない。同じレシピを出されても、違う人が作ると味が違う。そういう所の気づきとかも自分の中であって。素材を作るのも同じだと思うんですよ。嫌々作るのか、楽しんで作るのか。野菜にしろお米にしろ生き物だと思うんですよ。こっちの気持ちなんか、軽く見透かされると思うんです。稲や野菜はこっちの気持ちを感じている。何か落ち込んだりネガティブな人に触られたら気持ち悪いだろうし。物心がついたときから俺たちはお米を食べてきた。自分の手でお米を作るということは、日本人として素晴らしい体験ですよ。自分で作ったお米を自分で料理して食べるって、やっぱりもの凄い感動があるんです。その感動が忘れられないから、また今年もお米を作る。理想としては、全部じゃなくても自分の手がかかって出来たお米や野菜を日々食べれたら、ほんと最高なんだろうな」 ラスタファリズムによってライフスタイルが一変した。そしてお米作りを続けることによって再確認できた日本人のアイデンティティ。その二つの要素がミックスしたラス・タカシさんから生み落とされる音楽は、オーガニックで暖かみのあるバイブレーションに包まれている。 |
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