ガンガガンガガガ〜ン。真っ暗闇の峠道を猛スピードで走り続ける長距離バス。夜道の対向車は見えにくくて道も狭いので、コーナーにさしかかる度にパッパ〜ンと互いに警笛を鳴らしながらすれ違うことになる。ひどい揺れと警笛と急ブレーキ。ガードレールもロクにないからヒヤっとすることが何度も何度も続く。インドのバスはなんてクレイジーなんだろう、ジェットコースターなんて目じゃないくらいに恐い。よく崖から転落しないものだと思いながらも、ガタンゴトンと続く揺れに合わせるようにしてまたいつの間にか眠ってしまう。
 デリーのマジュヌカティラにあるチベタンキャンプを夕方に出発したバスは、朝7時、どうにかダラムサラに到着した。鉄板にちょっと布を敷いたような椅子での長旅は尻と身体に相当こたえる。それに随分寒かった。インド・ヒマチャル・プラデシュ州のカングラ地方。ヒマラヤ山脈の西縁に連なる標高1800メートルの丘陸地帯。ここには、チベット亡命政府をはじめ、15000人以上のチベット人が生活し、チベット亡命政府の各省庁、チベット仏教論理大学、チベット子供村(TCV)、チベット舞台芸術研究所(TIPA)、チベット医学・暦法学研究所、ノルプリンカ研究所、ナムギャル寺院などがあり、1960年の亡命政府樹立以来、チベット文化の中枢になっている。
 街に着くとまずは宿捜しをするのだけれど、幸運なことに、旅で知り合ったチベット人のクンチョック・シタルさんと再会することができた。この方のおかげで、僕の旅はチベットの人たちと関わり、チベット問題についていろいろ考えるきっかけにもなった。クンチョックさんの紹介があって、法王の住むパレスの近くにあるツクラカンというお寺にある僧侶のための一室を貸してもらえることになった。
 お寺ではたくさんの小坊主が毎朝輪になって問答をしている。これが見ていて飽きない。輪の中のひとりが答える者で、あとの複数がひとりずつ手を叩き質問するというか問いつめる者たち。「神様は何処にいる?」「う〜ン天にいる」「じゃあ証拠は?」そうしてなんだか真理に近くなっていくようだ。それを眺めるのが日課になっていて楽しかった。街の人もサングラスをかけた僧侶たちも、冗談好きでやさしい。
 そう言えば、僕はカメラをいつも持っていたので「自分の写真を一枚撮ってくれないか」とよくお願いされた。気軽に承諾すると、だいたい自宅まで招かれ、壁の高い位置に飾られてるダライラマ法王の写真と一緒に撮って欲しいと頼まれるのだ。これはデリーのチベタンキャンプでも何度かあったことで、チベット人とダライ・ラマ法王との絆の深さを知る気持ちのいい経験になった。ダライ・ラマってスーパーアイドルなんだな。この人がいるからチベットの人たちは明るくてやさしいんだな。なんて楽しんでいたけれど、漠然と、仏教を信じる国の人たちにいろいろなことを教えてもらったようにも思う。
 ある日、街の中心地であるマクロードガンジを歩いていると、20人ほどの僧侶が地べたに並んで座っているのに気付いた。何をしているのか最初は分からなかったけれど、それは国連に対するハンガーストライキだった、祖国を追われ、亡命政府から中国に対する非難決議を国連に要請している人たちの姿だった。さらにパンチェン・ラマといった高僧をはじめ、中国政府に拘束されているチベット人の釈放を訴えていた。次の日もまた次の日も……。チベット子供村では親をチベットに残した、あるいは親を亡くしたたくさんの子供達が一緒に暮していた。ダラムサラはチベットの亡命政府で、すでに約50年間に渡って、この人たちはみんな自分の国へ帰ることができていないということが、それからというもの頭の中を離れない。
 僕がダラムサラを訪れたのは1999年4月のことだ。ダライ・ラマ法王の謁見が目的だった。映画『ガイアシンフォニー第2番』は、自分の関心ごとと共鳴するところがあって、ダライ・ラマ法王、そしてチベット問題にとても興味をそそられたからだった。あのときのハンガーストライキのことを思い返す度に、チベットの人たちはダライ・ラマ法王を中心に、ますますチベット人としての誇りを持って、非暴力を貫き、自由を求めて闘っていること。世界の人々が幸せに暮らせるようにも願ってくれていることを考える。そして、チベットの人たちほど本当の意味で祖国というものを想う気持ちを持ち続けている民族はいないように思うのだ。