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『ヨコハマメリー』 |
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ハマの人情が支えた老娼婦、メリーさん 文・片岡真由美 |
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おそらく彼女は多くの人にとって、新宿に出没する「タイガーマスクおじさん」のような存在だったろう。戦後50年間、横浜の街角に立っていた通称“メリーさん”。顔をおしろいで真っ白に塗り、濃いアイシャドウと真っ赤な口紅をつけ、フリルのドレスに身をつつんだ異様な老婆の姿は、横浜の人たちにとって街の風景の一部になっていたようだ。確かにそこに存在したが、なぜそんな姿なのか、どんな生い立ちなのか、誰も知らない、生ける都市伝説のような人。 これが監督デビュー作になる中村高寛は、1975年に横浜に生まれ、中学生のころよくメリーさんを見かけたという。このドキュメンタリーで、中村監督は、1995年の冬に横浜から消えた彼女の、かつての姿を追い求め、メリーさんと関わりを持った人たちを取材していく。数々の伝説が、多くの場合、笑いとともに語られていく。呼び名もいろいろだった。そうしていくうちに、(観客にとって)奇怪なお婆さんと思えたメリーさんの、人に寄りかからず生きていた実像が、本人の写真や映像とともに、少しずつ見えてくる。 だがこの作品は、ただメリーさんの真実に迫ろうとしただけのものではない。それは後半で明らかになっていく。映画のある時点まで(今はもういない存在として)伝説化されていたメリーさんの、横浜を離れてからの姿が、後半に出てくる。白塗りをやめたメリーさん。伝説とは異なるメリーさん。穏やかに微笑む表情に、観客はほっとすると同時に、まごつく。今まで見てきた伝説がひっくり返された気持ちに、一瞬、襲われる。 主役は、伝説のメリーさんだけではなく、横浜の街そのものでもあることに遅まきながら気づくのは、この時だ。戦後、米兵や船乗りで賑わった、今はなき大衆酒場「根岸家」の存在。そこで働いた人たちや常連客たち。メリーさんを隣人として助けた商店街の人たち。もっとも親身だったシャンソン歌手、永登元次郎さん。消えゆくハマの街の人情が、ここに記録されている。 人には寄りかからなかったメリーさんだが、ハマの街は彼女を許容し、少なからぬ人たちがそっと手を添えた。その粋な人情が、このドキュメンタリーの感動の源なのだ。 |
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『トム・ダウド/いとしのレイラをミックスした男』
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ポピュラー音楽にレコーディング芸術なる 概念を持ち込んだイノベーダー、トム・ダウド 文・遠藤聡明 |
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「いとしのレイラをミックスした男」。 何一つ間違いのない邦題。まったくもって、その通りなのだが、彼の傑作ですら、故人の膨大な仕事のあくまでも一つにすぎない。 多くの優れたドキュメンタリー作品、ミュージック・クリップをモノにしている、その道(音楽映像)の敏腕監督マーク・モーマンの2003年作品。既に輸入DVDで鑑賞済みの方もいる事だろう。ミュージック・クリップ等を数多く手掛けている監督だけあって、年代物の既存フィルムと、晩年生存時に撮影されたダウド自身と、その関係者達をフィーチャーした撮影部分での、映像における違和感が一切無い編集手腕は見事だ。90分間、ダウドの音世界に、ただただ浸っていられる安心感と喜びは、何事にも代え難い。 劇中、幾つかの逸話で特筆するのは、広島原爆投下時のプロジェクト「マンハッタン計画」に、若輩ながら参加していた下り。本作ではダウドに対して、この事項を深く聞いてはいないが、音楽をひたすら愛する男にとって、人生最大の悲劇であった事だろう。 極秘任務に従事していた彼は、大学での単位が取りきれず、両親共が音楽家だったその血筋と、量子力学まで網羅した理工楽畑の知識を持って、一躍レコーディング・スタジオ内で、一目置かれる存在となった。 トム・ダウドは優雅だ。一切、金の臭いがしない。エピローグでギャグ混じりに嘯く「俺は実労分しかもらってないからね」の一言は、職人の域を越えて、何処か霞を食べている、文人の佇まいすら漂わす。 既に「88」読者の方々はご存じだろうが、敢えて必聴音源を大雑把に列記しよう。 アトランティック時代、スタックス時代、オールマン・ブラザース・バンド初期等は必ず! 若い方達は「プライマル・スプリーム/ギブ・アウト・バット・ドント・ギブ・アップ」をお奨めする。 |
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